この時期は、初参加の保護者が「うちの子はまだ早すぎないかしら」と迷ったり心配されるときです。母が子を思う気持ちというのは、想像をはるかに上回ることがあり、ある男の子のお母さんが、しみじみと述懐されたことがあります。「今だから言えるけど、初めて出した年なんて、もう本当に気が気じゃなかったんですよ。予定表を見ながら『ああ、今キャンプファイアやってるんだなあ』『もう寝る時間だ。泣いたりしてるんじゃないかな』って想像して胸が熱くなっちゃったりして」
大変な宝物を預かってきたのだなあと自覚させられました。ちなみにこの少年は、典型的な一人っ子の弱点(もまれ弱さや奪い取る迫力の不足)を持っていましたが、溢れる愛情と背中を押してくれる判断力を持ったお母さんのおかげで、高学年ではリーダーシップを発揮し、受験も自分の意思で決め第一志望を突破するたくましい6年生に成長しました。
さて、子を案ずる親心の話です。一人の1年生の長男君がいました。バスの出発で最前列に座った彼が、見送りのお母さんに精一杯手を振っています。「ママー!ママー!」と大声で呼びながら。お母様の方はもう大変で、涙でクシャクシャにした顔で、ちぎれんばかりに手を振りながらその子の名前を繰り返し叫んでいるのが分かります。あまりに悲痛な表情で、何かこちらは山椒大夫に出てくる舟上の人さらいにでもなった気持ちでした。出発後、もらい泣きしていたガイドさんが最初の挨拶を済ませたあと、第一声で「ママとのお別れつらかったねえ」と、この少年に語りかけました。その時の返事が振るっています。「全然。ママはああすれば喜ぶんだよ」
この話をどう感じられるでしょうか。子どもは、親が思っているより、ずっとクールに色々なことを観察しているし、もう赤ちゃんではない。確かにそれも一面です。しかし、本当のところ、彼は身を切られるようなせつなさと寂しさの中にいたはずです。「全然」と答えた大きな理由は、友を前にした、やせがまんだと思います。そんなところで「うん」などと言ったら、男の子社会では笑い者になる。だから平然を装ったのです。
子ども同士が生活を共にして集団を形成する効果の最大のものは、まさにこのやせがまん的なものによってもたらされます。「友達の手前みっともない」「自分だけできないのは悔しい」「上級生として恥ずかしいことはできない」このような相互作用によって、より自立へ自立へと、集団の力学が働きます。ママがいれば心の体重をあずけてしまうものを、ひと頑張りして立ち、階段を一段上がるのです。学年変わりに子どもの顔つきが変わったとおっしゃる保護者も多いものです。特に1年生が2年生になった(後輩ができた)とき、6年生や中3になった(最上級生になった)ときが顕著でしょう。これも同じ理屈です。
こんな話もあります。「うちの娘は、私がいなければ何もできないし、絶対につらいだけです。本当に大丈夫ですか」と詰問される方の子が、帰ってきてバスから降りるとき泣いていた。それ見たことかと母は駆け寄り、抱きしめて「どうしたの。何で泣いてるの」と尋ねた。すると答えは「(楽しくて)帰ってきたくなかったの」
子離れはつらいでしょう。しかし、彼らは日々成長しています。子どもが本来持っている相互作用の力を信頼して、勇気を持って送り出してみてください。