高濱コラム 2005年12月号

日本人の典型なのでしょうが、特定の宗教に属していない私にとって、押さえの利かない青年期に、音楽が心の支えになった面があります。気分の浮沈が激しく、小さなことで落ち込んでしまったり、孤独感に苛まれたりしたときに、教会で祈るように、一人の部屋でヘッドフォンで聞きこんでいたのが、ジョン・レノンのソロアルバムでした。何度も、何度も。憧れが原動力で、ヒロイックに奉る頃でもあり、暗殺の一報には「もう何もかも失った」とすら感じました。あれから四半世紀が立ちました。

25年。両親の次に影響を受けたと断言できるジョンからは、「生き生きと生きること」「笑いとひらめきを忘れないこと」「格好つけないこと」「感動すること」など、重要なことを音楽を通して教えられ、その通りにがんばってきたように思います。彼には、決して「愛と平和の使者」などではなく、「人間らしく人生を満喫する」ことを教えてもらいました。今年も12月8日には、一人ひそかに喪に服したいと思います。

さて、影響を受けたけれども、音楽で食べて行くには、ハッピーに育ち過ぎている。それなら毎日感動できることをというので、教育を職業として選びました。花まるを興してから13年。今年は長年の持論を本にすることもできましたが、これは縁あって入会し、会員でい続けてくださったみなさんのおかげさまであると、痛感しています。第一弾「小3までに育てたい算数脳」で言いたかったのは、いわゆる「頭のよさ」の核心部分は、現場感覚としては、3・4年生くらいまでに育ち終わる。そしてそれを育むポイントは、勉強そのものよりも外遊びを中心とした体験と遊びであるということです。

たまたまめったに見ないテレビを見ていたら、たけしと慎太郎が出ている番組で、「本当の頭のよさ」とはというテーマをやっていて、外国の大脳生理学者で「頭の良さ」研究の権威が出てきて、場所で言うとそれは前頭前野のある部分がその中心であって、そこは4歳から8歳に最も成長する、ということでした。自分の主張とおおいに重なる話で、意を強くしました。

このようなことを書くと、5年6年のお母さんから「じゃあ、もううちは遅すぎるんですか」と言われますが、高学年からは「頭の筋力・パワー」をつけることはできるし、「知識」などは一番入る時期に来ます。また、やりっぱなしにしない、一生使える学習スキルなどを身につけるのに、絶好の時期でもあります。

さて、本では、思考力の本質は、「見える力」と「詰める力」であると述べました。特に後者は、「頑張りぬく」という、半分精神力とも置き換えられる部分があって、これは、保護者の力が大きいよなと思っていました。すると、つい先日発売された雑誌で「頭のいい子の親の顔」という特集をやっていて、その編集後記にこうありました。

「『東大生親子』十五組に会いました。頭のいい子が育った家庭に何か共通点はなかったか。取材メモを読み返しました。すると、多くの家庭で『親が頑張る姿を子供が間近に見ていた』ことに気がつきました。一番身近な大人である親が、一所懸命になる姿は、思考の教材です」

実は、私の母も5人兄弟の3番目で、お金がなく中卒後看護学校に行って、医師の父と結婚したのですが、私たちを育てながら通信で高卒の資格を勉強していました。スクーリングなのか熊本市にでて授業を受けているときは、ついていって近くの公園で遊んで待っていたものです。「勉強しなさい」とは一度も言われませんでしたが、その行動は強い影響を与えたなと、今さらながらに思い返しました。

花まる学習会代表 高濱正伸