『結びついた記憶』2005年7月号
この夏、不思議な出来事がありました。
一つ目の記憶は20年前に遡ります。私は小学一年生。「これは大切なもんやから、絶対に触ったらアカン。」そう言いながら母は、押入れの奥に日本刀をしまいました。今となっては祖父の遺品です。
その口調がとても厳しく、私の記憶に鮮明に焼きついたのかもしれません。
それから月日が過ぎ、高校一年生の夏。部活に向かう途中突然の大雨に降られ、ずぶぬれになった私は仕方なく家に引き返しました。家から出てきた母と鉢合わせ。「これから大阪城で刀の展覧会。友達のカワハラさんの個展。由実も行かへんか。」
突然の誘いを断らず、高1の私は、母親と、全く興味のない日本刀の展覧会へ行ったのです。
今から思えば突然の大雨も、不思議なコードのような気がします。
ようやく話は現在へ。主人が昨年から居合いを習いはじめたことは知っていました。日本刀にかなりの興味があることも。それが私の予想以上の情熱だと気づいたのは、「日本刀を造ってみたい。」と言い出したときでした。
そのときに思い出したのが、私の中のふたつめの記憶でした。カワハラさんを思い出し、母に連絡をとってもらったことがあったのです。今年の6月のことでした。
お盆に実家のある奈良に帰り、母と話をしました。
押入れの奥から出された日本刀を見て、主人はじっくりと観察し、丁寧に手入れをしました。「何かおじいちゃんのこと思い出して泣けてきた。私が死んだら、トモ(主人)にこの刀もらってもらうから。」そういう母に、どうしても二つの記憶について、話さずにはいられなくなりました。
「おじいちゃん、全部見えてたんやなあ。ちゃんと大切にしてくれる人に渡すためやったんやなあ。」祖父は亡くなる数年も前に、何故か長男ではなく、母に「これを預ける」と、刀を渡したそうです。
それを私の前でわざわざしまった母。その記憶が消えなかった私。偶然の大雨。刀鍛冶のカワハラさんとの出会い。それを思い出し、母と連絡を取ったこと…。すべてが今この瞬間につながっているような感覚でした。
ただの偶然ではないような気がしたのは、不自然なくらいに鮮明な、あのふたつの記憶のせいなのです。
刀が私の祖父と主人を結び付けたようにも感じられる、夏の不思議な出来事です。
***
奈良では、父とも話をしました。父方の祖父の思い出話を通して、父親としてのあるべき姿を考えさせられましたし、甥っ子の育児相談(愚痴?)にのる私と妹の話をそばで聞き、的確にその原因を言ってのける父の言葉に、生きてきた年輪というものの重みも感じました。
この年齢になって、離れて暮らす親と深い話ができるのは、しみじみ幸せだと感じた私の夏の思い出です。
将来、私も両親と同じ年齢になったときには、家庭を持った子供達と、こんな風に話をする日が来るのでしょう。
皆さんは、どんな夏を過ごされましたか。