Rinコラム 『ママにオコラレル』

『ママにオコラレル』2005年12月号

年に一度の作文コンテストが終わりました。
作文コンテストでは、一人ひとりの、大きな一歩が踏み出される日であり、私が一年で一番楽しみにしている日でもあります。

高学年の子は、「(授業で習った)慣用句を使ってみたよ」と自慢げに見せに来る子、「今迄で一番上手いって(褒められた)!」と友達に話す子、推敲するこ と自体を楽しめる子、俳句や詩で表現する面白さにのめりこみ、いくつもいくつも書く子、と一人ひとりが自分の力以上の力を見せてくれました。

文章も絵も年長さんのときから大好きな二年生の女の子。たくさん書くことができるものの、いわゆる型を破ることのない、最後が「楽しかったです。」でしめくくられてしまう作文「何を書いたらいいの。」となかなかかけずにいたので、いいチャンスだと思い、
「いっぱいありすぎて決められないんだね。今まで生きてきた中でいっちばん心に残っていることってあるでしょう。昨日のことや、この間のお祭りとかじゃなくて、昔のことなのに、忘れられないようなこと。」
と問いかけると突然、いつも通りの饒舌なお喋りで、あるお話をしてくれました。
「なんだ、それのほうが、ずっと面白いお話だね。読む人がきっとびっくりしちゃうね。」
その一言で聡明な彼女は気付きました。ついさっき私が皆に教えた『素敵な作文が書ける魔法』の一つに、「読む人がどうなるんだろうって思わせることが大切 (つまり読み手への意識です)」を思い出したのでしょう。「恥ずかしい」と言いながらも書き終えた作品には、今までの彼女の壁を大きく飛び越えた素敵なも のが出来上がっていました。

低学年、特に一年生にとっては初めての本格的な作文に挑戦した日です。中でも印象的だったのは、「なりたいものを、書いてもいいの?」と私のところへ聞きに来た一年生。「もちろん。いいね!」の答えを聞くが早いか自分の席にもどり、将来の夢を、一心に書き出し、ついには二枚目まで書き続けました。その姿に一番感動し、喜んでいたのは普段担当していた講師でした。普段の授業では、なかなか作文らしいものが書けず、どうしようかと考えていたとのこと。その感激をコンテスト終了後母親の元へ飛んでいき伝えたのは言うまでもありません。

悲しいことに、上の例とは対照的な例もあります。
同じように普段の授業では文章よりも絵を描くほうに夢中になるタイプの一年生です。彼がなぜ「さくぶん」を書かないか、講師は知っています。「でもそれを書いたら、ママが怒るもん」それを聞いたとき、私達は思いました。これは長丁場になりそうだぞ、と。今回の作文コンテストでも、彼の意思は固く、「最後の最後に、でもそれを書いたらママ怒るかもしれない、と言って書けなかった…。」と講師は報告してくれました。

最初の二つの事例は、彼らの心の中にあった、「作文はこうかかないとダメ」という制約から解き放っただけです。しかし、「ママに怒られる」という呪縛をとくのにはまだしばらく時間がかかりそうです。彼の将来を考えると、たくさんの子が経験するように、毎回の作文を通して来年の今頃には、自由自在に書く、表現する喜びを知ってほしいと願ってやみません。

作文コンテストは、一年に一度の、作文の魔法が子ども達にかかる日です。そしてその魔法がとけるかとけないか、かかるかどうかも、普段の保護者の方の子ども達への接し方が大きく影響してくものなのだと、改めて思わざるを得ない出来事でした。