写生の時間、木を紫色に塗った小学生がいた。普通は黒か茶。「一番好きな木だから一番好きな色を木にあげた」と言う子に、代理教員はこっそり紙製の金メダルを与えた。「いい成績はあげられないけど先生はこの絵を素晴らしいと思う」との言葉を添えて。
ある歌手のラジオ番組に、代理教員がこの思い出を投稿した。偶然放送を聞いた生徒から教員に届いた手紙には、紙のメダルを首にぶら下げた青年の写真が同封されていた。美大に進学し今は画家の卵。メダルを壁に飾り励みにしてきた、という話です。
大人のたった一言が、人の一生に影響を与えることがあるという事例でしょう。今、社会人として頑張っている方どなたにも、一度はそのような経験があるのではないでしょうか。私にもあります。
私は2歳上のよくできる姉と、2歳下のハンサムと言われる弟にはさまれた、指しゃぶりでおねしょの子でした。小学校1・2年生時代は、「おとなしい子」と言われていました。それが3年生のときに、ガラリと変わったのですが、それは担任のN先生の影響が大きいと思います。まなざしのフンワリしたその女性の先生は、私たちの担任をしているときに、幼児であるご子息を亡くしたりして、つらい気持ちを抱えてがんばってくださっていたのだろうと、今にして思うのですが、とにかくN先生のそばにいると、安心できたのを覚えています。
その大好きなN先生にほめられたことがあります。算数のテストで升目が複雑に書かれた図形がありました。「この中に、大小合わせて、長方形は何個あるでしょうか」と尋ねるよくある問題ですが、ちょっとした見落としそうなものも含まれているものでした。「この一つが難しいけど、ちゃんと見えたぞ」という手ごたえも感じて答を出しました。数日後に返却されると、百点。N先生は、長方形の問題にあえて触れながら、「この問題ができたのは、高濱君だけだったよ」と、皆の前で言ってくれたのですが、そのときの高揚感は、忘れられません。
その頃から急に、給食の時間に校内放送で音楽が流れると、私が踊りだすのが、皆の楽しみというくらい社交的で、人を笑わせることが得意な子に変身していったのですが、N先生が担任でなかったら、全然違っていたかもしれません。「頭の体操」を始めとした、一筋縄で解けないパズルのようなものが大好きになったのも、その頃ですし、勉強面でも、自信をつけたように思います。
この文章を書いていて、今、私は、何て素晴らしい先生との出会いを得られたんだろうと、感慨がこみあげてきました。「先生の一言のおかげで、考えるタイプの問題が大好きになり、いつのまにかそれでメシを食うまでになりました」と手紙を添えて、算数脳の本を贈ろうと思います。