高濱コラム 2006年11月号

新しい本(学力がケタ違いにのびる 算数脳の育て方:幻冬舎)が出版された日、御茶ノ水の丸善で、その本を立ち読みする女性に出くわしました。自分の著書を立ち読みする人を、真横で観察するという経験は初めてなので、傍目には行動がぎこちなかったと思いますが、読みもしない文庫本を手に取ったりしながら、見ていました。

インテリ風のその女性は、問題のページにかなり時間を割いて読み込んでいて、外遊びのページでよくうなずき、NGワードの4コマ漫画では体を揺らして笑ったり、額に手をやって「これ私だわ」とでもいうようにかぶりを振ったり。これは間違いないなという手ごたえを感じていたのですが、結局ヒョイともとのところにもどして、行ってしまいました。残念でした。

さて、上のエピソードが示すように、メディアで取り上げられたり会社の規模が拡大することは、ありがたいことなのですが、一方で、大きな課題が出てきました。今まで関係があった人たちとの距離感です。

人は、心の距離が少しでも離れたと感じると、不快に思う。これは、私なりの人生セオリーの一つです。10メートルが11メートルになっただけで、それは1メートル分の不満ではなく、好意がガラリと悪意に変わるくらいに変化する。近づくときは喜びでいっぱいで、安定期はつつがなく進行するけれど、いったんちょっとでも「離れた」と感じると、修復が難しくなる。

悪気など何もなく、ひたすらに仕事に打ち込んでいるだけなのだけれど、昔からのおつきあいのある保護者に、「この頃、来てくれませんね」とか「お忙しいみたいで」と皮肉っぽく言われることがあります。ミーティングや飲み会の頻度が下がってしまったなと気にしていたスタッフに、思わぬ不満を言われたりもしました。

こんなとき私は、プラス思考というか、「まあ、先人の色んな創立者たちも、まさにこのステージを乗り越えていったんだろうから、私だってできるだろう」と考えるのですが、目下の大テーマです。

そんな中、夜遅く帰って風呂から上がると、妻が例の本の「父親の役割は妻のカウンセラー」というページを眺めています。ギクッとするが早いか「このページ、拡大コピーして壁に貼っとかなきゃね」と言われました。講演会で偉そうに話をしていても、現実はこんなものです。

その後、雑談まじりに、男女の役割などを話していて、男はただ家庭のためにがんばりたい生き物なのだということを言ったら、「一般論だけど」と前置きした上で、こう言われました。「家族のために働いてくれているのは分かるが、女から見ると、必要な分働いたら、家庭のこともやってほしいもの。あるところから先は、男の夢だったりプライドだったり単に仕事がとっても好きだったりして時間が足りなくなっているとしたら、それを『家のため』と言われても、女の人は納得できないと思うよ」ワーカホリックの自分には、立ち止まって考えるべき問題のように思いました。父親の皆様、いかがですか。

花まる学習会代表 高濱正伸