Rinコラム 『なにかひとつ』

『なにかひとつ』2006年 5月号

4月号の講師紹介のページで「何かひとつ」を持っていることが大切、と書きました。それというのも最近、それを再確認するきっかけになった春の出会いがあったからです。

Bさんとは、「なぞぺ~」の問題製作を依頼する面接で出会いました。

花まる学習会の「創造性」や「遊び心」を世の中に発信していく場所として、新しく3月に都内に事務所「okarina(オカリナ)B」を創りました。その 建物自体が、「創造性」と「遊び心」満載。訪れる人が笑顔になるような場所、もう一度来たいと思わせる空間になっています。その空間に心のアンテナがふる えた人と、いわば必然的に出会ったというわけです。Bさんを通じて、「okarinaB」で個展をしたいという写真家のMさんとも打ち合わせをしました。

「考えてみると、ずっと小さいころから古いものに興味があったのだと思う」古着屋さんとして自分の店を持つために準備中のBさん。写真のテーマについて、「鳥のほかにも蝶とか、空を飛べる生き物がいいかなとか、優しい目の動物がいいかなと考えています。僕は子どものころからそんな動物が好きでしたから」とMさん。二人に共通していたのは、‘幼児期の記憶’と‘今の自分の目指しているもの’が線で結ばれているということでした。どちらも、自分が、何が好きなのかということをしっかり分かっている。心が躍動する瞬間を意識しているのです。

子どもたちの教室の様子でも同じことなのですが、「躍動している瞬間」=「楽しいと思える時」というのは、頭も心も能動的に動いている。つまり、自分の頭で考えている、自分の心で感じていることに集中している。それは、ただ何も考えずノートをうつしているだけのような、「こんな自分はいやだ、意味のないことはやりたくない。理解して先に進みたい」と感じることができるか、ということとも通じます。

「何もやりたいことがない」なんていう言葉を耳にすることがあります。小さいころから、「○○やってもいい?」とオトナの判断を欲しがるのではなく、「これをやりたい」と好きなことに没頭できる時間をもっているかどうか。「なにかひとつ」は、何だっていいのですが、持っているといないとでは大違い。「なにかひとつ」を持ち続けて輝いている大人になってほしい。それが本当のしあわせのかたちです。

春。花まるがはじまるのをどきどきして待っていた子どもたちと、それから講師たち。4月はみんなのどきどきと、ちょっぴり背伸びをしたような誇らしさと緊張感が、教室のあちらこちらで躍動しています。さあ、新しい一年が始まりました。花まるは、ご家庭と協力して同じ意識で子どもたちを見てまいりたいと思い ます。何かあればいつでもお知らせください。今年も一年、よろしくお願いいたします。