『おとなの背中をみています』2006年 6月号
「暮しの手帖」という雑誌を興した花森安治さんという方が書いていたことです。お使いに行ってもお母さんがお肉買ったり野菜を買ったりする。その途 中に本屋さんがある。あっても入りはしないで大急ぎで帰って、早く料理をやらなければとなっている人と、本屋さんの中にさあーっと入ってみる人。買ったりはしませんが、とにかくずーっと本の背中だけでも見ている人、それからたまには手にとって目次くらいはちょっと見る人など、いろいろあるのです。その本屋さんの前を通っても、なんとも思わず、すすすーっと忙しく通ってしまうお母さんと、本屋さんに入って背表紙だけでも見て、あっ、どんな本があるのかなーと見るお母さん。もちろん読みもしなければ買いもしない。そういう人であっても、顔つきが違ってくると、その花森さんの文章にはあります。
また、国語教育の大家、大村はまさんは演出までしたそうです。「私は教卓の上にいつも本を広げていて、それを読んでいるときに『先生あのね』と生徒が言ってきたら『ちょっとちょっと待ってて、ここのところおもしろいからまってて』と言って読むんです。そして少しして、『なあに』という具合です。そこまでして、私がすぐ話を受けないでも読みたかった場所がその本の中にはあると言うわけです。」
これは本当にその通りだろうなと思います。子どもが読まないことを気にして「読め読め」ということではなく、生活している中におもしろそうな本があること、愛読者が身近にいることが最大の効力。
これは何事にも応用できます。親子で漢字検定に挑戦する雰囲気を持つ家庭や、お父さんも一緒になぞぺーの問題を楽しむ(・・・)おうちに、嫌々ながら学習する子はいないのも同じことです。
最近、来年度入社予定の(内定者の)学生さんたちと話をする機会がありました。驚いたのは、その中のほぼ全員が、自分が接した「あの先生のように自分もなりたい」と思い、将来は教育を目指すようになったという記憶を持っていたのです。
もうひとつ。6月に結婚式を挙げる私の元同僚Kさんの、母親の思い出。「ある日母さんと妹と三人で、自転車に乗っていたら、とつぜん嵐になった。大雨でずぶぬれになるのが嫌だな、と思った瞬間母さんが笑顔でこういった。「よーし走るよ!」三人で、自転車で、「わあぁ~!」と大声を出しな がら、母さんの背中を見ながら、家路を急いだ。だから、雨にはいい思い出があるんだ」その話を聞いた私の胸に、この映像は映画のフィルムのようにずっと 残っていて、時々宝箱を開けるようにそっと思い出しては、微笑みたくなります。彼がどんな困難があっても、雲間からさす太陽のような前向きな明るさを失わないのは、きっと母さんの背中からもらったものだからなのだな、と。