今は直接役に立たない、進化途上の記憶を、確実にDNAの中に残しつつ私たちが存在していると知ることは、必ずしも合理性だけで諸事を決定するわけでない人間というものを理解する上で、無視してはいけない前提だなと再確認しました。
さて、夏休み。保護者の皆さんの夏休みの記憶は、どんなものでしょうか。私は、40年も前の熊本の山の中とはいえ、ただただ遊んだ記憶しかありません。早朝には、近所の悪がきグループが集結して、まずは神社の裏の山の探検に向かいます。手には、同じ大工さんがそれぞれのために手づくりしてくれた木製の虫かご。狙いはクワガタ捕りです。田んぼのあぜを抜けそのまま山道につながるルートには、いくつも難所がありました。先輩たちから一番注意されていたのはハチ。山を巻く急カーブのところにクマンバチと呼ぶハチが飛んでいるのです。(今思うとクマバチもスズメバチも、そう呼んでいました。)「巣に近づくな」「来たら伏せてじっとしてろ」が、申し送りの指令で、命の危険があるので厳守していました。それでも、伏せている耳元をホバリングする、重量感のあるブーンという音は、心底の恐怖をかきたてました。それこそ、鳥肌と同じ原理で、DNAに刻まれた情報なのかもしれません。
目的の木は決まっていて、到着したらその日の名誉ある担当者が、ドンとひと蹴りします。するとボタボタとなんとも充実した、何かが落ちる音がします。小枝であることもあるのですが、いくつかはコクワやノコギリクワガタでした。その収穫の喜び!
午後は水着で集合して川へ。小さいうちは親も監視している決められた範囲で遊びましたが、5・6年ともなると、活動領域は広がり、「行ってはいけない」と言われている場所にも、度胸試しで何人かで向かいました。そして二度死にかけました。一度は、膝下くらいまでしか水量はない、しかしとても流れが急な場所。最後尾を歩いていた私はちょっとした穴のような石の隙間に足をとられてクルリと回転し、水面下、仰向けで這い上がれない状態になりました。また一度は、絶対に足は立たないけれど、せいぜい川幅10メートルくらいしかない急流の場所、軽い気持ちで「往復しようぜ」と皆で向かったら、全くコントロールできず水は飲むし完全におぼれて必死の状態で、うんと川下のもとの岸にたどりつきました。それらの経験は、死の恐怖とともに、流れる水の力のすごさを、教えてくれました。そして、そのたびに、何か大人への関門をくぐりぬけたような、少し誇らしい気持ちが、冒険の余韻として残ったものです。
紫外線問題どころか、肌の黒さを競い合っていた時代。田舎の少年にとって、遊びとは何もない山や川に、自分で作り出すものでした。それは以後の人生にとって、貴重な財産となりました。テレビ・ゲーム・テーマパークなど、遊んでくれるものではなく、自ら生み出し、口がカラカラになるような濃密な体験に満ちた夏でありますように。