果たして翌週、その講師からの報告は、「本当にその通りでした。食べないことが多いそうです」というものでした。長年やっていると、そういう「シリーズ」とも呼ぶべき生徒群が思い出されるので、直観したのでした。しかし、今年はその私でも騙された、恐ろしいケースがありました。
小さい頃から覇気がないなあとは思っていた男の子ですが、理解は割合に早いほうだし、何よりもその母が子育てに熱心な様子なので、可能性から除外してしまっていたのです。会うたびに、これこれこういう心配がある、大丈夫だろうかと、我が子のことを思いやっておられました。上品で美しく(というよりは、今思えば入念すぎる化粧だったのですが)なんてよいお母さんだろうと信じていました。
ところが、6年生になったこの夏の合宿で、みんなで朝ごはんに何を食べたかという話になったとき、彼は「パン」と答えたのです。みんなが味噌汁だサラダだと答えていたので、「それだけということはないでしょう」と聞くと、ううんと首を振ります。「バターやジャムは」と聞いても同様。「え、本当にパンだけなの?」と言うと、はいとうなずいています。「じゃあ、お母さん何してるの」と聞いたら、「寝てる」が彼の答え。夜の仕事でもない専業の主婦であるのにと信じられない思いで「でも、いつもじゃないでしょ、出発の朝っていう意味?」と聞くと、また頭を振りながら「いつも」。
シックスセンスという映画に出てきた子殺しの母親を思い出して、背筋が凍る気持ちでしたが、その話を私が彼から聞きだしたことを知ってか知らずか、秋になると急に退会されました。家のご飯を信頼できない子がどうなるのか、思春期以降が心配です。
私が子どもの頃、家族旅行に行くと旅館らしいご馳走が出てきて、大人である両親は喜んでいるのですが、いつも私はポソリと「うちのごはんが一番うまか」と言っていました。心の底から。子どもはそういうものと信じていましたが、現代の子どもも、そう思えているのでしょうか。この一年を振り返っても、多くの会社で食品の偽装が発覚しましたが、言葉と並んで文化の要である「食」が、この国では危機なのかもしれません。
実はつい先日、38度後半の熱を出してしまい、花まる創立以来初めて、病気での代講を立ててしまいました。年齢もあるでしょうし、無理もしているのでしょう。しかし、会社のソファで寝袋で横になって、風邪の菌との戦いに意識を集中させていたら、8時間後には、6度4分までさがりましたから、余力はありそうです。それにしても、厳しい企業間競争の中、15年間を生き抜くことができた最大の理由の一つに、一度も病欠しなかったことがあります。「体は資本」とはまことにその通りですが、その大元にあるのは、少年時代に野原を駆け巡った運動量と、おふくろのごはんだと思います。
花まる学習会代表 高濱正伸