Rinコラム 『謙遜?』

『謙遜?』2009年12月号

先日、FC南浦和校に、中学生になった教え子のKちゃんが顔を見せに来てくれました。3年生までをわたしのクラスにいて、その後スクールFCで過ごし、受験。今では制服をさらりと着こなし、はじけた笑顔は幼いころと変わらず、思わずこちらも笑ってしまいます。「学校の試験で、この前算数1番とりました!」と報告。近くにいたみんなが、「それはすごいねえ!」と喜ぶとすかさず、お母さんが「毎回じゃないんですよ!それを維持するのがねえ」と一言。謙遜。うちとそと。和の精神。日本人の考え方の背景となるもので、私たちの生活には染み付いていて、あえて意識しない当たり前のものですよね。

私も昔、海外に旅に出たことで自国の文化に改めてフォーカスし、意識しだしました。その後、教育に関わり続けながら、ずっと「親が謙遜すること」の、子どもたちへの影響について、考えていました。

というのも、「弟は出来るんだけど、お兄ちゃんがねえ…」というような、少々あからさまな言葉を、本人のいる前で平気で言ってしまうような状況が日常的な子どもたちは、自信がなく伸び悩むことが多いが、例えば「よかったねえ頑張ったね!」と漢検合格を一緒に喜んであげられるような家庭の場合は、ぐんぐんと自信をつけて伸びていくのを目の当たりにしてきたからです。
こと、学習の初期の段階、つまり、子どもたちが自己肯定感の礎を築いている様な時期には、「そんなことないですよ、家ではダメなんです」というような謙遜は、必要ないのではないかと考えるようになりました。

どのお母さんお父さんも、曰く「わが子ではなくて人の子はいいところに目がいく」そうで、実際褒めている場面を見聞きします。見ていると、それに対して褒めてもらった側は、「○○君こそ!」と、わが子への肯定のことばはさておき…となるようです。子どもたちがいる場所では、出来る限り日本人の美徳「謙遜」は封印して、「そうなんです、大すきで頑張ってて!」とさわやかに褒め殺し作戦はいかがでしょうか。

子どもたちの自尊心はこれで強化されて、ますますがんばるでしょうし、何よりも大切なのは、「何かひとつ、これは自信がある」または、「頑張れば結果が出るものなんだ」そして、「自分は大切にされている、頑張りを認めてもらえている」という体験でなのです。

子どもたちはみんな、きっと一人ひとりが、この世界で何をなすのか、お手紙に書いて生まれてきているようなものだと思います。それはひとつひとつちがっていて、全部がすばらしい結末。さあそのお手紙を、開いてこっそり見せてほしい!と私はいつも思っています。

先ほどのKちゃん。スーパー算数を教えていた高濱が、「分からないことあったら教えてあげるよ」というと彼女は一言。「ないです!」幼いころからの負けん気の強さは健在でした!もうその年令になると、謙遜なのか、本心なのかは、理解できるものですよね。

今年も残りわずかとなりましたが、宜しくお願い致します。