『「~だからできない」を乗り越えよ』2011年3月
復興を妨げる内なる敵について書きたい。
計画停電の可能性が報じられた夜、私は今後予測される停電時の授業対策として、会社の一室で写真のようなペットボトルランタンを作った。理科実験の電球と、乾電池とペットボトルで、停電になっても授業をできるようにするための、手元を明るくする非常用のランタンである。懐中電灯は会社として保管してあるけれど、授業で子どもたちの机の上を照らす形のものはない。これは急がねばと、思いつくままに作成し社員たちに「どうだ!」と見せて回った。
写真①
写真②
すると翌日には、野外体験部部長の箕浦が、写真②のような小型懐中電灯を活かしたランタンを、いくつも試作していた。この中の紙を巻いたものは、ムラなく手元が明るく、しかも材料は①小型懐中電灯、②ペットボトル、③トイレットペーパー、④ガムテープくらいしかいらない。決まり。箕浦の勝ち。私は一日天下で終わった。
弊社は、こういう会社である。社長相手だろうが、お追従は言わずアイデア合戦で、勝ちに来る。よりよい工夫を示せたら評価される文化があるのである。すぐに、会員にweb連絡で「花まる学習会は、計画停電予定でもやります。仮に本当に停電になっても、懐中電灯(を使ったランタン)で、授業を続けます」という趣旨の文章を一斉送付した。予定が立たないことにこそイライラ感を抱いている保護者たちには、非常に歓迎された。
非常事態につけこんだ怠慢が横行している。「計画停電なのでできません」。本当か。ほんのちょっとした工夫で、相当カバーできるのではないか。特に公共機関に甚だしい。弊社は首都圏を中心に80か所130開催の教室を展開しているが、大半が週に一回だけの「賃借り」の場所である。
その中で、例えばH市が管理しているコミュニティルームなどは、「4月から5時半以降使えません」の一文で終り。問い合わせると「計画停電がいつあるか分かりませんので」である。本当にあったとしてもその時間帯が暗くなるのなんて週に一日くらいである。なんのことはない、いい機会だとばかりに、休みたいだけなのだ。
「弟が横でテレビを見ていてうるさかったから、宿題ができなかった」と言い訳する3年生の男の子と似ている。理由になっていないしその根底にあるのは怠惰な精神である。いや少年は可愛いしこれから成長すればいい。だが、いい大人が、これほどの危機に直面して、もう少し社会全体を考えて、ひと工夫を思いつかないものだろうか。残念なことである。
逆に、最も借りる場所として多い私立幼稚園はどうか。さすがに競争原理が働いている私立だけに、地震で被害に遭い現実的に不可能なところ以外は、全て開催を歓迎してくれた。どころか、昔から気骨あふれる方だと思っていた一人の男性園長などは、「俺は、危機には燃えるんだよ。俺たちががんばらなきゃな!」と意気軒高である。縮小する心ばかり見せつけられた日々にあって、非常にまぶしく元気をいただいた。
「『メシが食える大人』に育てる、というのが我々の目標である。だからいつも、究極の状況を想定し、それでも教育はできるかと想像している。例えば『手作りパズルのすすめ』(草思社)という本で書いたのは、頭を良くするパズルは、買わなくても鉛筆と紙さえあれば、自分で作れますよ、ということである。発展途上の教室も黒板もない国でも、棒きれと地面さえあればこのパズルは作れます、という意味である。そういう精神があれば、現在の状況など、みんなで協力し工夫し合えば、次々に回復できるはずである。
復興を妨げる内なる敵とは、「できない理由」を利用する怠惰な精神だ。志ある大人たちよ、「~だから」とできない理由をあげるのではなく、「いや、こう工夫すればできますよ」という声を、たくさんあげようではないか。心の前向きさを具体的行動として表現しよう。それは、隣の人のやる気に火をつけ、逆境を、むしろ「子どもたちを強く育てるチャンス」に変えるであろう。
花まる学習会代表 高濱正伸