Rinコラム 『かみ合う会話』

『かみ合う会話』2011年7・8月号

花まるのお迎えに来たお母さんに走っていって、こういいました。「お母さん、僕今日サボテン全問正解だったよ!」そうしたら、お母さんはこういいました。「いいから早く片付けしてきなさい」
「これって会話としてどうかなあ?」「だめえー!」「本当はお母さんは、なんて言うべきだったの」「すごかったねえって!」子どもたちの口の そろえた言い方がおかしくて、講師たちが笑いました。じゃあこれは?お母さんがこう言いました。「おかえり、今日ご飯何食べたい」帰ってきた私はこう言い ました。「ていうか、遊んできていい?」この会話はどう?「だめー」じゃあ本当は、何ていうべきだった?「ぼくならラーメンかなあ」「ハンバーグ!」これ も次から次へと、自分に照らし合わせた答えを考えだす子どもたち。問いに対して、きちんとした答え方ができているかを考えるという、国語大会での一コマです。

「なぜ?」ときかれたら「〜だから」と答える、「抜き出しなさい」と言われたら、一字一句間違いなく書き抜く、などは、今ちょうど高学年がGood Job!国語で扱っていますが、土台となるのは、何を聞かれている?という、ことばに対する敏感な感受性です。
子どもたちの国語力、もっというと言葉の力、そしてより大きい枠組みで捉えると、他者が何を求めようとしているのかにアンテナをはれる他者性 の力と、普段の会話のキャッチボールの正確性は、大きく関係しているのではないか、という我々の問題意識から、今回の国語大会のゲームのひとつになりまし た。

実は冒頭のたとえ話のセリフ、実話です。ある講師が実際に花まるの教室で目にした悲しい光景でした。居残りぎみだった彼が、待っている母親の もとに駆け寄り、今日の頑張りを報告したら、返ってきたのはほめ言葉ではなかった。あわてて講師が「すごかったよね、がんばったね」と声をかけるも、欲し かったのは母親からの言葉だった彼には届かず、がっくりと肩を落として教室に引き返したそうだ。ああ、せっかくの伸びるチャンスを失った、講師はそう思っ たという。だが、実は問題はそれだけではなく、根が深い。日々の成立していない会話の繰り返しがもたらす影響について、少なからず考えてみる必要があります。

先日のカンブリア宮殿※で、高濱も力説していました。「言葉の力は、土台として、何よりもどんな力よりもいちばん大切だ。伸びる子かどうかは、三回目にわ かる。言葉環境がしっかりしている子は伸びる。間違いをさっと正せている家庭かどうか。聞いていることに答えることができているかどうか。それが論理性、 文章を読み解いていく力につながる」〔※2011年6月2日放送〕
教室でも、子どもたちの「先生、トイレ」というようなセリフには、「先生はトイレじゃないよ。なんていうの」と正していますが、日常生活の中の、とくに親子の会話は、大人が意識することでぐっと変えてあげられることでしょう。