『心の拠り所』2012年1月
脳性麻痺の子に多い股関節の手術で長期入院中の息子が、何とか年末年始だけでも家に帰ってくることができました。4か月ぶりの自宅。病院へは週末ごとに両親どちらかが顔を出していたのですが、ほぼハンストに入ってしまったようで、体重は9キロも落ちてしまっていました。看護士さんお医者さんも随分心配してくださっていました。
親としても必死なのですが、なかなか食べてくれなかったり、せめて水分だけは絶対にと思ってジュースなどを口をこじ開けて入れると、あえて吐き出すようなことをするので、完全に切れて額を叩いて叱ったりしていました。教育者然としていますが、現実はこんなものです。コップ一杯の水を飲ませるのに一時間以上もかかったりして、なかなかのハードな局面でしたが、入院中だからこそ逆に妻と二人で食事に行くことができて、そこで「今日は40分で飲んだ」「意外と早かったね」などと共有することで、随分楽になりました。
年末には、病院スタッフの手からは無理と判断されて、とうとう経管チューブで流し込むような状態だったので、議論はあったのですが、私なりに勝算はあったので一時帰宅をさせてもらいました。すると、家のにおいをかいでからは、最初は息も絶え絶えながら口を空けて食べてくれ、元気が出始めるともの凄い勢いで食べ始め、2杯メシ3杯メシと平らげるようになって、ものの2・3日で元気を取り戻しました。
家が、子ども時代にとても力があることは、体感としてよく覚えています。私は車酔いをする子どもだったのですが、この世も終わるかというような頼りなくひどい酔いで帰ってきても、家に入ったとたんにスキッと治ったものでした。つまり幼いなりの健康の範囲内とはいえ精神的にひ弱だったのでしょうが、親や家族の顔を見る安心と同様に、「自分の家」という存在が、いかに心の拠り所であったかということでしょう。
さて息子ですが、12歳にもなるのに、ただただ家に帰って来たかったんだな、自分のできる範囲でギリギリの自己主張を続けていたんだなと分かると、愛おしさも増し、張り切って世話をしたはいいのですが、元旦早々一人でかついだ拍子に、グキッと嫌な感じがきました。ギックリ腰です。幸い最悪ではなかったので、何とかそれでも三が日世話をして、病院に戻したときには、歩けはするけれどもドンと押されたら抵抗できずに倒れるという状態でした。
4日には、信頼できる接骨医さんのところで治療してもらい、同時に一度効いた経験のある座薬を使ったのですが、はかばかしくありません。まずいことになってきました。翌5日には雪国スクールが入っていました。しかも子どもたちと戯れる場面を撮りたいと、「ソロモン流」の撮影隊が入ることになっていたのです。
現地に到着。スタッフは前泊までして張り切っています。私は正直に、ギックリ腰であること、一応の治療はしたが調子が悪いので、「走れても、せいぜい30秒くらいだと思いますよ」と言いました。ディレクターの目の中に一瞬落胆が見えました。
ところが何ということでしょうか。猛吹雪と言ってよい降りの中、新雪にズボズボと足を取られながら子どもたちと鬼ごっこやプロレスのようなじゃれあいを始めたら、楽しくて楽しくてただ夢中になっていました。気づいたらスタッフから「先生、腰は大丈夫なんですか」と聞かれていました。不思議なのですが、いつのまにか治っていたのです。いかな権威ある医師といえど「ギックリ腰には、吹雪の中、子どもと遊ぶとよい」と処方箋を書く人はいないでしょう。
初夢のような、ちょっとしたミラクルで、一年の幕が開きました。今年も子どもたちとともに、楽しく学び、野外を駆けまわりたいと思います。
花まる学習会代表 高濱正伸