『頭を支える体』2012年4月
中学3年の保護者から電話が入った。私立高校入試の際、緊張の余り頭が真っ白になって、全く力を発揮できなかった、この後に控える第一志望の公立高校入試が不安である、というのだ。彼女には、小学6年のとき週に一度の作文教室で教えただけで、その後、直接指導したわけではない。作文教室の終了時に、迎えに来た母親と話す機会も多かった。だから私のことを覚えてくれていたのだろう。
彼女の授業が終わるのを待って話をした。「久しぶりだね。がんばっていることは聞いているよ。」たわいもない会話から始まり、彼女との時間の距離を縮めて「試験になると緊張するんだって」と核心へと話を移した。「緊張するって、どういうことだかわかる? たとえば、貴方が重い荷物を持つ、全身で力を入れなければ持てないような、そんな荷物を持っているとしよう。その状態でものを考えること出来ると思う? 出来ないでしょう。緊張するというのはそういうことなんだ。重い荷物を持ち続けて試験を受けているようなもの。これでは実力は発揮できない。せっかくここまでがんばってきたのだから、こんなことで実力が発揮できなければもったいない。肩を目いっぱい上げて、それから肩をすとんと落として、そう。どう、重い荷物を下ろした状態になるでしょう。もし緊張したら、今のをやってごらん、落ち着くから」とこんなアドバイスをした。この単純な“緊張のメカニズム”の説明でも、受験期、過度にナーバスになっている彼女は真剣に聞いていた。もちろん彼女は志望する公立高校に合格した。私の“おまじない”が効いたわけではない。彼女の日々の努力、担当講師の指導の成果が合格をもたらした。
何度言っても理解できない、もしかするとこの子は頭が悪いのではと決め付けるのは早計だ。彼女が試験当日、頭が真っ白になっているのと同じこと。極度に緊張している状態では、頭は働かない。いくら指導していてもそれは益々体をこわばらせるだけになっている。まずは緊張を解くことから始めるべき。間違えてもいいという状況をつくること。要は頭を働かせることが主であり、出来は従であるから。
がちがちに固まった体では、ものは考えられない。まずは体を解放する、リラックスさせること。たとえば、サッカー、野球、どこに球が来ても動けるように反射的に反応できるように体は準備している。運動だけでない、ピアノの練習も然り。そして遊び。遊んでいる状態をよくみればいかに体が解放されているかがわかる。
体を解放したときに頭は働く。いい雰囲気、馬鹿になる、笑い等々、学習に好影響を及ぼすのも、リラックスできるからだ。そして集中はリラックスした状態からうまれる。何かに集中したとき逆に体は解放される。反射的な反応は集中していなければできない。集中とリラックスは一体。
受験生の仕上がり具合を判断する目安の一つとして私は自習をみている。集中して自習しているときは、周囲の環境を問わない。体はピンと一本の筋が背中に入るが、体自体は固まっていない。操り人形を思い浮かべてほしい。糸につながれている筋はあるが、いつでも動ける状態になっている。自習の後姿で学習の質がわかる。頭から背中にかけて一本の糸が筋をなしていれば集中して学習している。そうでなければ姿勢は崩れる。崩れた姿勢の学習は持続しない、あるいは眼前に集中の対象がなく、周囲に向いている。だから頭に入らない。学習時間が長くても得るものは少ない。いい姿勢とは、リラックスした体のことだと解釈している。見栄えのいい体ではない。花まる学習会の授業をみれば納得できるだろう。「やったー」「イェイ」の掛け声とともに体を解放している。だから次の瞬間集中できる姿勢がうまれる。
しかし、緊張した体を解放するのはやさしいことではない。早期教育を受け、それが嫌なものと刷り込まれるときは、なかなか解放できない。ものを考える段階になると何も反応しなくなる。こういう子どもの場合は、追い込んで追い込んで出来ないことに逃がさず直面し続けさせる。とうとう涙を流しだしたとき、それから彼は頭を働かせだす。いままで縛り付けられてきた状態から解放されて初めて動き出す。泣くという喜怒哀楽の感情のレベルまで解放して初めて頭は働かせることができる。これも一例、すべての子には当てはまらない。その子に適した解放を探すしかない。
緊張している、というときはがちがちに固まった状態を意味している。緊張感がある、というときは研ぎ澄まされた集中した状態を意味する。この違いは「感」がつくかどうかでではなく、もう一歩考えてみると体が解放されているかどうかの違いだと思っている。いい発想がうまれるときは、私たちがリラックスしている状態にいるときだ。机に向かい学習しているときかもしれない。道を歩いているときかもしれない。いずれにせよ何かから解放された瞬間に訪れる。
預かった生徒を伸ばすのが私たちの使命。それは何かを教えるだけではなく、この子が頭を働かせる状態を体得させることから始まる。「生き生き」「伸び伸び」という状態が学習にはいい環境だが、それは子どもの体を解放することだと考えている。呪縛から解放されたとき、子どもは伸びる、と思っている。