西郡コラム 『ともに学ぶ』

『ともに学ぶ』2012年5月

私の講演会では、私の実践してきたことを通して自分で納得できたこと、そして理解できたこと、また疑問に持っていることなどを、愚直に今の私の問題意識として話している。保護者にとって耳の痛い話もある。それでも隠さず本音で話すようにしている。私のために時間を費やして来て頂いたからには、何かを残さねばならない。だから、今考えていることをストレートに話すことが、来て頂いた方への私なりの礼儀と考えている。

つくば教室で講演会があった。今回の私のテーマは基礎学力。私の考えている基礎学力とは何か、読み、書き、計算がなぜ基礎学力となるのか、基礎学力の前提になるものは何か、中学受験、高校受験さらにその先、社会人として今の基礎学力がいかに大切かを、常日頃考えていること、実践していることをまとめ、話した。
ここまでは、いつも通りの講演会だが、今回は保護者の方にも「6-6」という“ゲーム”に参加して頂いた。参加者を6名のグループに分け、「今の子育ての悩み」というテーマで各自考え、そして一人一分の持ち時間で、各グループ内で発表する。全員が発表した段階でグループの意見を集約し、グループの代表一人が意見をまとめて発表する。誰が発表するかはランダム。自分が発表者になるかもしれない緊張感があり、参加者一人ひとりに当事者意識が生まれる。

グループ構成は、知人を避け、学年もバラバラ、初めて会う、話す方を多くした。ゲームって何をするの、何を話せばいいの、自分が発表するの、こんな疑心もあった。保護者の表情も当初は固い。しかし、時間が経つにつれ笑い声も聞こえ、和やかな雰囲気になってきた。同じ花まる学習会の会員、あるいはその知人、子育てという同じ境遇にある。自分の悩みが自分だけではない。心情を吐露することで次第に打ち解けてきた。自分の子育てのことをオープンには話す機会は少ない。しかも学年が違うことによって、経験済みの話として聞くこともできる。今の近視的な見方が一過性のものであることに安堵し、視野が広がる。子育てに正解はないが、ともに同じ境遇の母親たちが今いる。私が一方的に話す講演会ではなく、保護者の方が参加しお互いに意見、感想、悩みをぶつけ合うことに今回の意義があった。

保護者の一人から「書き順が間違っているがどう指導したらいいか」という質問が出された。これに対して、私の意見。「書き順は間違えても書く意欲をまずは大切にしたい。どんどん書かせるように書くこと自体も褒める。それからもっとこうしたらいいのではとタイミングをみて、子どもが聞く耳を傾ける段階で正しい書き順を教える。ダメ出しをして強制して、結果、書かなくなった、書くことが嫌になったことの方が二次災害」。すると、ある保護者から、「自分の子どもは習字を習っている。習字で“いい字”を書こうとすると正しい書き順にならざるをえない」という意見が出された。なぜ、その方法がいいのか。それは、そうすることが最も美しいから、理にかなっているから、本質的だから。正しい書き順は、その字が最も美しくなるから。そう教えてもらったから、そういうものだから、そうしなければならないのではない。なぜ、それを学ぶのか、教えるのか、その本質に根ざしていなければ通用しない。保護者からの意見に、学ぶー教える本質を私は改めて考えさせられた。

「集中力がない、どうすれば集中力が身に付くのか」こんな質問も出された。学年が下がれば下がるほど「集中力がない」は不安材料。しかし集中力がないわけではない。自分の興味があるものには、集中できる。学年が上がると体が出来てくる、すると集中できる、これらの意見も保護者から出された。私が話すより、実際の子育てをする母親からの意見だけに説得力がある。子どもたちをみていると、集中力に個人差があるようだ。黙々とじっくり集中できる子もいれば、才気煥発、一気集中できる子もいる。花まるの教室長からは、こんな意見も出された。「個人差がある」は大切な視点。子ども一人ひとりの気質に基づいた、特有の集中の方法・方略がある。他との比較ではなく、あくまでそれは参考、自分の集中力の方法・方略をつくるしかない。
「子どもたちをみていると」という、このフレーズが私たちの強み。花まるの教室長が実際に現場で肌で感じ、構築した“理論”だから保護者も素直に耳を傾ける。机上で学ぶ理論を振りかざしても説得力はない。現場で子どもたちから学んで、初めて私たちは教える側に回れる。教えるだけなら簡単だ。しかし、子どもに聞かせる、響かせる、分からせる、学ばせるのは難しい。一人ひとりがどういう状態にいるのか、何が今適切な指導なのか、常に子どもたちをみていないと教えることは出来ない。子どもから、保護者から、社会から常に学ばなければ教えられない。

混迷する社会、将来像も描きづらい現代において、「これでいい、これが正しい」子育ては存在するのだろうか。何が正しいか分からない、という前提に立つしかない。諦めの境地ではなく、一人ひとりに何が必要なのか、何をすべきなのか、今、目の前の子どもをしっかり見据え、私たちがともに考えていくしかない。今回の講演会では、保護者と私たちがともに学ぶことの意義を考えさせられた。