『信じること』
5月の二週目の日曜日は母の日。毎年母の日には実家へ戻り、何かしらをしていたのですが、今年の母の日には実家に帰ることができませんでした。
終日仕事だった為、朝一で「いつもありがとう。お蔭様で頑張れています。」とだけメールを母に送りました。
「メールありがとう。あなたなら何があっても大丈夫でしょ。」というのは母から来た返信メール。根拠は無くともまさに心強い一言。それだけで無性に力が湧いてきました。
誰かが信じてくれているということ。
この感覚は高校時代にも感じた記憶があります。
もう今は亡くなってしまいましたが、高校時代の恩師はとにかく生徒を信じる先生でした。
1学年13クラスもあった高校で、あらゆるテストで私のクラスの成績は常に13位。他クラスの先生からは「このクラスの成績は良くないけれど、雰囲気は良いよね」なんて、配慮以外のなにものでも無い言葉もしょっちゅう耳にしていました。
そんな時、恩師からクラスの全員に話がありました。
「私はキミ達を信じている。いつも見守っているよ。
だから頑張ろうとした時、上手く頑張れなければ私のところに来なさい。
人生に答えは無いが、一緒に考えることはできる。」
「私は大抵のことでは叱らないが、‘自分はできない’というヤツは徹底的に叱る。
もう一度言うが、私はキミ達を信じている。
だからキミ達のことを‘できない’と言うヤツのことも叱る。
ただし、それがキミ達自身で自分達のことを‘できない’ということも許しはしない。」
私達クラスメイトはこの言葉を聞いて、まさに一念発起。
放課後は勉強会を開き、自学習に励みました。
するとメキメキ順位が上がり、学年順位が5位以内に入ることも珍しくなくなりました。
他クラスの先生から「すごいじゃないか!」と驚かれることはありましたが、恩師から「頑張ったな!」や「よくやった!」という言葉はありませんでした。
その代わり恩師が最後に言ったのは「ほら、できただろ?」の一言。
修了式後のホームルームで放った「ほら、できただろ?」という言葉に私達は大笑い。
みんなで築き上げた自信。
「なんだ、できちゃったね。」という全員で共有できた達成感。
何よりも初めから信じてくれていた恩師に全員が感謝を告げました。
心から信じること。私自身も子ども達を信じきる人でありたいと思っています。
初めからできなくても大丈夫。絶対にできるようになるから。
できるようになるまで先生はキミ達にとって何が今、必要なのかを常に考えるよ。
ただし、自分で「できない」と言わないこと。それが約束。
そうしたメッセージを伝え続けていきます。