『さいごに―幸せですか』
愛には、いろんな形があります。
忘れ物をしたときに、それを届けてあげることかもしれません。いじめられたときに、相手の親に電話することが、もしかしたら愛の形である場合もあるでしょう。習い事をさせてあげることかもしれませんし、宿題を一緒にやってあげることかもしれません。鉄道好きな子を博物館に連れて行くことや、毎日お弁当を作ること、本を読んであげること。厳しく叱ること。抱きしめること。どれも愛の形といえます。
どんな愛にも、間違いはありません。幸せに元気に育ってほしいと、願わない親はいないのですから。それでいいのです。子どもへの愛情に、合格不合格などないのです。親の、子どもへの愛情に裏打ちされた勘に、間違いはありません。
そしてどんな環境で、どんな形の愛情でも、彼らはそれをしっかりと感じています。
これさえあれば子どもたちはすくすくとまっすぐに育っていくと我々が確信しているもの。それは、母の笑顔です。なぜなら子どもたちは、どこまでいっても例外なく、「母の笑顔のため」に、頑張る生きものだからです。偉大な母の笑顔を前に、私たちは太刀打ちできません。
だからといって、どんなに疲れていても、子どもの前では笑え、ということでは勿論ありません。(人間だから、時にはイライラします。)
人生を楽しんでいる、一個の人間としての、母の笑顔のことです。
子どもが、お母さんの人生の全て、になってはいませんか。
彼らはいつか手の離れる、別の人格を持った、一個の人間です。この世界で、何か果たす役割を持って、生まれてきたのです。唯一無二の種を持った彼らの芽が、本来の力を伸ばしていけるようにと、我々は祈りにも似た思いで、そのお手伝いするだけです。
お母さん自身の夢中になれるもの、好きなことは何ですか。子どものときに抱いた「大人」とはどんなものだったでしょう。
ある教室の6年生女子3人は、2月の花まる課題作文「理想の大人」で、こう書きました。
「将来の夢がまだ決まっていないから、夢を持つことが夢なのかもしれない」…「とにかく幸せでいたい。仕事一本の女性でもいいし、家庭を持っていてもいい。将来の自分が、『自分は幸せだ』と思っていれば、それでいい。」…「結婚と仕事、どちらも両立したい。未来の自分のために、今は努力をする。」
12歳の子どもたちは、もうずっと先を、しっかりと見ていました。
どの子にも将来、これだという自分の道を見つけてほしい。社会で活躍する、大人になった彼らの姿を想像して、謙虚に、日々の子どもたちの前に立ち続けるだけです。
レロ由実