『反骨』2013年5月
「この字では読めない、書き直し」「計算式がない、式を書くように」こういった指示にことごとく反発しごねる。こちらの妥協を許さぬ表情に不承不承に指示に従う子もいれば、ぶつぶつ文句を言いながら自分の机に向かう子もいる。中には、食って掛かり、こちらを睨みつける子もいる。なんだ、その態度は、と叱っても引かない。悔しくて泣いている。わがままを脱しない、幼い反抗だが、決して悪いことではない、いい子になろうとせず、反発する意志、エネルギーは必要。
反抗期はだれにでもある。反抗期がない方が危うい。最初の反抗期の子どもは、周囲の大人に対して、すべて「いや」といって反発する。食事のときに何が気にいらないのか、ごはん茶碗を急にひっくり返す、衝動的に何の脈絡もなく起こす行動に、母親は戸惑い、苛立ち、いうことを聞いてくれない子に、なぜ、と悩む。周囲に聞き分けのいい子がいれば、比較してしまう。ここで踏みとどまってほしいのは、反発するのは当たり前、そういった時期だという見方に変えることだ。実は子どもに自我が芽生え始めたことなのだと。指示や命令をわざと無視したり、逆のことを行ったり、なにかにつけて自分の意志を強硬に主張しているのだと理解する。
母親の手でやってもらっていたが、自分の手足を使いたい、自分でやってみようとする欲求が出てきたから自己主張する。大人の世話や干渉に屈しないで自分でやってみたいだけなのだ。運動能力が発達してきたから、言葉の獲得が遅いと相手に伝えるすべを知らないもどかしさで注目をひく行動に出る。これも、自我の目覚めで健全な証拠。ただ、いうことを聞かない、聞かせようとする尺度だけで子どもの行動を束縛すると母と子の関係は息詰まる。
小学校の中学年から高学年にかけて同年齢の閉鎖的な集団を作って遊びや行動を楽しむようになる時期をギャングエイジという。私の子どものクラスメイト5,6人が家に遊びに来た。騒ぐ、物は投げる、走りまわる等々、最初はおおらかに構えて子どもは騒ぐものと容認していたら、次第に図に乗り出したので叱り飛ばした。幾日かして、私の子どもも含めたその集団は近くのスーパーに見学に行った際、無料の水を飲ませろと騒ぎだし、あまりの素行の悪さに保護者全員が各々校長に呼び出され説教をくらった。親のしつけが悪い、と。校長に謝罪、子どもには気を付けろと言っただけでおわり。むしろ、集団でないとできない弱さがあるものの騒ぐことができるだけでもましになった。その後、いろいろいざこざはあったが、卒業するころには、かのクラスメイトは、道で私に会うと、こんにちは、とやや照れくさそうではあったが挨拶をしてくる。成長するものだ。ギャングエイジも麻疹のようなもの、罹っておいた方がいい。
第二反抗期は、自分を取り巻く伝統的な慣習や権威などに対してくってかかる時期。たとえ先生でも信頼できるかどうか自己判断する。信頼できると判断すれば素直に従い、そうでなければ徹底的に反抗的になる。高校のとき、全校生徒を集め講演会があった。京都の有名なお寺の高名な住職の話だった。「今やる」をことさらに力説していたが、何をやるの?受験勉強?大戦当時なら戦争?今やるのではなく、何をやるのかが大切でしょう。それを語っていない。講演会の会場である体育館の後ろの方で斜に構えた私は、高名、有名なだけの「権威」と聞いただけで屁理屈を並べて毛嫌いしていた。今その私が「今やる、すぐやる、ちょっと待ったはなし」という道場心得をつくっているのだが。
高校時のエピソードをもう一つ。倫理社会の時間、新任、といっても50歳前後の先生だが、初めて会う私たちに、「君たちは左翼思想に冒されている」という話を始め、マルクスを否定し、ケインズ理論を展開して、ついには日教組批判をも始めた。私たちの年代は学園紛争が風化した頃、思い込みも甚だしい。右も左もわからないのが私たち高校生、それをどちらにするかの判断は個人に任せてほしい、その判断材料を提供してくれればいい。ただ、これだけのことを言い切って、この先生は大丈夫かと心配するほどであった。そんなとき、一人の同級生が先生に異議を唱え、そこから授業は生徒対先生の大討論会になってしまった。結果、面白い興奮する授業になったのだが、この授業もこれっきり、その先生は自分から辞めたのか辞めさせられたのかわからないが、二度と私たちの前に現れなかった。ちなみに、即、先生に食って掛かる、大胆な行動で生徒たちを鼓舞した同級生が、花まる学習会の代表・高濱正伸である。当時から彼は反骨心があり、自分の信念を貫いていた。先生、それはおかしい、塾業界、それはおかしい、今も昔も変わりはない。
大人の話を聞ける子、従順な子、素直な子、他者性のある子は学習の伸びがいい。教える側も教えやすい。先生と生徒の良好な関係も築きやすく、いい思い出が作れる。特に受験生は、いいところを素直にどんどん吸収する方が効率はいい、無駄がない。ただ、そういう子ばかりではない。これまで私に食って掛かる子はたくさんいた。しかし、大抵は卒業後に会うといい青年になっている。反抗期はあっていい。ない方がおかしい。反発するエネルギーはむしろ生きる糧になる。うちの子はいうことを聞かない、というのは、健全なことであって悩むべきことではない。その反発を跳ね返す大人がいればいい。子ども達よ、どんどん私にかかってきなさい。私は立ちはだかります。超えなさい。そして、反骨心を持った大人に成長してほしい。