『芽を摘まない』2013年6月
「辞めたい」と私に訴えてくるとき、錯綜した頭を多少交通整理するためだけのアドバイスは送るが、基本的にはただ話を聞くだけにしている。そして自分でどうするか、続けるか辞めるか自分で結論を出させる。自分で決めなさいといっても周囲の無言の圧力を感じるはず。子どもは大人を見て判断するから。それを極力排除し、私たち大人のことは考えなくていい、自分を振りかえり、これからやっていけるか、そもそも自分にやる必要があるのか、自分がどうしたいかだけ考えなさい、と伝える。悩み苦しんだ結果、やっぱり続けますと言いきったとき、その子は変わってくる、伸びてくる。学習は、自分がどうするか、だ。自分が得たものしか残らない。生徒の自覚、自主性を常に問うこと、自分の課題に向き合うことができるかどうか、対峙できるかどうか。正面から向き合えば伸びる。
「宿題を忘れました」。では、次に忘れないようにするにはどうすればいい?に対して、必ずやってきます、という返事。もちろん信用するが、それでは弱い。必ず、とか、絶対とか勢いだけの言葉はその場限り、言い逃れ。むしろない方がいい。本当にぼくはやれるのか、不安になった方がものは考えている。具体的に、いつ、どこでやるのかを考え出したら進歩、変化の兆し有り。宿題をやってくるということはスケジュールをたてることが出来つつあるということ。宿題ができるように、忘れないために、ちょっと振り返って自分を見つめ直すことは自覚の第一歩、芽は出ている。考えさせること、考える間を与えること、彼らは発展途上、方向性がいいなら、あとは時間の問題、完ぺきを求めない。何度も何度も、次にどうすると問いかけ続ける。すぐには出来ないが、宿題が出来るようになった、持ってくるようになったとき、彼らは伸びている。やってくる、持ってくる習慣が身についている子も多い。ただ、監視の影響が強いから、習慣になっていることもある。自我が目覚めるとき、その習慣が継続されているかどうか。習慣の獲得が後になればなるほど自分のものになっている。
姿勢が変わったとき、彼らは変わってくる。形だけのいい姿勢をつくるのは、雛形づくり。型から入ってもいいが、その型を意識していないと継続できないでは、自分のものになっていない。姿勢が変わったというのは、意識しないとき、いい姿勢という注意をしないときにでもできているかどうか。集中できる姿勢がいい姿勢。対峙した姿勢なのだ。単純に身体が成長し根幹ができてくると姿勢もよくなってくる。落ち着きのない子でも6年生にもなってくるとみんな落ち着いてくる。落ち着いてくるのは姿勢だけのこと、頭の中は落ち着く必要はない。学べば学ぶほど不安になるもの。頭の中は不安定でいい、支える器が安定してくればいい。また、性格の落ち着きのなさは個体差として残るが、身体のぶれは低、中学年とは質が違う。姿勢もできてくる。骨盤の上にしっかりと背骨がのっている、さらに頭がある状態。一本の線の上にある。脳そのものをつくっているのは10歳ぐらいまで、身体の成長と一致してくる6年生のこの時期は、学習面でも最も伸びる時期、しかも目で見てわかる。
自立しようとするとき、学習も伸びる。親の手を借りるのを嫌がる時期が出てくる。なんでも自分でやりたい時期、そのときは学習も伸びる。些細なことでも自分で判断すること。間違えてもいい、自分で判断すること自体に意味がある。自立の対極は依存。何事も保護者に確認する、やってもいい、あっている、これでいい、と。自信のない子にはひと押ししてあげる時期があってもいいが、依存そのものは責任転嫁、自分の逃げ場を確保していることになり、自分の学習を自分で引き受けることにはならない。ただ、自分で稼いでいない子どもたちがどこまで自立するといえるのか、我儘と自立の線引きは難しく、甘さも残る。自立自体は他者を断つわけだから、そこには孤独も経る。自分でやるは自分ひとりも覚悟の上、孤独の寂しさは引き受ける。いきがっても、甘い判断でもいい、自分でやる経験が大切。自立は子どもだけではない。親の子離れ、親が子離れしていないから子が自立できない。寂しさの充足を子どもに求めていては子どもは自立しない。子どもはいつか離れる、独り歩きができることを見据えて、自立を願う。子どもを伸ばすには、親が子離れすること。
子どもが自分自身をさらけだしたとき、伸びる。ごまかしやふり、体裁を整えても時間の無駄、いずれ暴かれることがわかってくる。脳みそが作られ、神経回路が発達し、体が成長している。自分の頭を鍛え、感覚を磨き、体を鍛える。生身の自分をさらしていた方が無駄なく鍛錬できる。まだ、鍛錬の時期、途上、だからさらけだしていいのだ。教室の雰囲気がいい、楽しい、面白い、馬鹿ができる、もさらけだせる環境をつくるため。良いも悪いも、あるがままのあなたでいい。できないから、わからないといって隠す必要もない。人に笑われようが面白がればいい。
すぐにできるものはない。過ちを繰り返すのが子ども。次につなげるのは意欲だ。できた喜び、達成感は学習意欲をうむ。意欲、興味が彼らを成長させる。何か夢中になる、意欲的になれる経験が財産になる。正しい方向に向いていれば子どもは伸びる。今がすべてではない。私たち大人の評価、見方が変われば、子どもは伸びる。出来高を評価するより過程の意欲を褒める方が子どもたちは正しい方向が分かる。子どもは私たちを見て判断する、行動する。私が芽を摘まないこと。