『カルチャーショック』2014年1月
年明け早々、フィリピンの孤児院や小学校を訪ねてきました。家庭への貢献の貴重な時間を犠牲にし、本業もキリキリ集中すべき課題山積の中、なぜそれを選択したかというと、「高濱さんは、絶対感じるものがあるはずです」という、I先生の言葉にピンときたからです。I先生は、某有名私立中学高校の数学の先生ですが、人としてのたたずまいが素晴らしく、学校では「きっとI先生の教え方が、数学教育を根底から変えるであろう」と確信させる斬新な指導をされています。その弟子で感性と才能の塊のようなK君が花まるに入社した縁で、親しくさせてもらい、今回の3人での旅となったのでした。
修道院に泊めていただき、数か所を回ったのですが、公立の小学校は、大きな体育館のような四方の壁が無い建物でした。木のついたてで10区画くらいに区切って教室にしていました。椅子だけで机の無い子もいれば、ちょうど日本の小学校にあるような机一つを3人で一度に使っている子たちもいるようなぎゅうぎゅう詰めの状態でした。しかしみんな素晴らしい笑顔。途上国に行った人が必ず言う「子どもたちの目は日本の子たちよりもよほど輝いていた」という報告そのままで、なぞぺーに熱中してくれました。
明らかに貧しいのに心はよほど活き活きとしている。片や有り余るほどのモノに囲まれているのに生命力の無い青年が大勢育っている日本の現実。考察に値する矛盾。一体なぜと考えましたが、要は「みんな同じように持ってない」ときは、人間特に子どもは、十分ハッピーでいられるということでしょう。フィリピンの子が宗教心ですごく誇りを支えられている面があることは確かですが、「人と見比べながら自分の幸せを測る」という習性はいずこも同じで、無ければ無いでみんな無いなら、最低限のものでも楽しく暮らせる。モノに恵まれてくると「うちだけ車が無い」「私だけあれを買えない」と不幸せを製造し始めるのでしょう。いずれにしろ、幸せは自分の心が決めるということは間違いなさそうです。
そういう公立学校にすら通うお金がない子のための宗教施設でも教えましたが、一見表情は暗く見えても、ちょっと目が合うとニッコリと最高の笑顔で微笑む子ばかりだし、「できた!」の代わりの「フィニッシュ!」と叫びながら、70人ほどの小中学生全員がモレなくなぞぺーに打ち込んでくれました。私の最後の「ありがとうございました」を、笑いながら何度もマネしていました。
孤児院は衝撃的でした。こんなに笑顔と幸福に満ち満ちた子ばかりとは!日本のそれとは大きくかけ離れていました。それは秘密があって、7・8人くらいを単位として一軒に住まい、それぞれに「母」がいます。その「母」は、世界規模の団体が生活を支えることと引き換えに、自分自身の結婚や出産を放棄した人たちがなっているのだそうです。覚悟とともになった「母」は、一生の絆で結ばれるのだそうです。異学年異性との爆発のような外遊びの遊びっぷり、お手伝いへの集中力など、良きものに満ちていました。そこでは、なぞぺーはもちろん、キューブキューブが大人気で、私が目をつぶって箱にしまって見せると、一人の少年が触って間もないのに、同じことをできたりして盛り上がりました。
子どもたちとの出会いは素晴らしいものになりましたが、道をジプニーという乗合バスで行けば、車、人力タクシーなどが押し合い圧し合いすれ違い、その混雑の中を人がたくさん平然と横切る。バイクのノーヘル3人乗りなど当たり前、中には4人乗り5人乗りまで見ました。曲芸並みですが人と人が大いにくっついているのは特徴だなと眺めていました。そして出会う方全員がホスピタリティ溢れていて、本当に温かく迎え入れもてなしてくれました。
私の中の眠っていたものが目覚めました。バックパックで色々な国を歩いた20代のあの感覚。見るもの聞くものがすべて括目させられる。感じて考えて言葉にすることの繰り返し。わざわざ時間を割いてカルチャーショックに身を置くのは「真」だなと、再確認しました。目の前の子どもたちに見とれて仕事仕事仕事の20年でしたが、こういう時間は取っていかねばなと思いました。
それにしても良き友人とは何とありがたいことでしょう。自分からは絶対に出なかったカードを見せてくれ、最高の導きをしてくれました。夜の議論でも、「パズルは世界の共通言語だ」とか「教えること以上に、一人の誤答に注目すること、子どもを観るということが先生の仕事になっていくだろう」などと熱く語り合いました。最高に感度の良いアンテナを持った人=人生の本質をつかんでいる人と、ずっと友人でいられるように、己を磨き続けねばなあと、飛行機の窓から空と雲を見ながら考えました。
花まる学習会代表 高濱正伸