花まる通信 『母を想う気持ち ~背番号1~』

『母を想う気持ち ~背番号1~』 2014年4月

少年A君は3年生から野球を習っていました。

A君の目標はエースピッチャーでした。
当時チームには1学年上のエースピッチャーがいました。

彼は監督の子ども。実力以上のものがないとエースピッチャーには選ばれない。毎日練習をして、来る日も来る日も泥だらけになっていました。学校が終わって、練習して、花まるに来て勉強をして、家に帰ってから素振りをするような毎日でした。3年生から4年生の間は、控えのピッチャーでした。背番号は「10」。彼は「10」の背番号をもらうたびに、0を手で隠して、いつかはこれが「1」になると信じて努力を続けました。

5年生になり、身体も大きくなったA君の投げる球は1つ上のエースピッチャーを上回るレベルになりました。周りもA君をエースピッチャーにした方がいいのではないかということを言いだして、監督を悩ませていました。

そして、5月の大会。新たに背番号が配られました。彼が手にした背番号は・・「1」。念願のエースピッチャーです。背番号を手に走って家に帰り、母親に報告。その日はA君にとって忘れられない日になりました。

事件は大会当日に起こりました。

練習を済ませて大会用のユニフォームに着替えたA君は背番号を確認するために、控え室の大きな鏡を見て愕然としました。背番号が逆さに縫い付けられているではありませんか。裁縫があまり得意ではない母が夜な夜なユニフォームと背番号と戦っていたのはA君も知っていました。怒りよりも、これを見て母ががっかりしてしまうことを彼は恐れました。試合が始まり、3塁側で応援する母に背中を見せないように彼は努力します。本当は右打ちですが、右打席に入ると背中を母に見られてしまうので、3打席全て左打席で打ちました。(3三振でした。)
 
 試合はA君の好投により1対0で勝利。

エースピッチャーとしての役割は十分果たしていたので、そのまま終わるかと思っていましたが、試合後の反省会で、彼が3打席左打席で打ったことに対して批難する選手がいました。元エースピチャーで監督の息子です。確かにチャンスでA君に打席が回ってきたことや、彼が右打ちだということは周知に事実。A君が、皆の納得のいく説明をしなければエースピッチャーとして失格になる雰囲気になりました。

3年生から毎日憧れた背番号「1」・・・。

彼の選んだ選択は、エースピッチャーを辞退することでした。
そして誰にも逆さまになった背番号を悟られないで、ユニフォームを脱ぎました。
A君は、その次の日からも練習を続けました。
母のせいではなく、左で打てなかった自分の力を向上させるべく、彼は今まで以上に練習をしました。

そして次の大会。背番号が大会前に配られました。A君の名前が呼ばれ受け取った背番号は「1」。背番号だけでなくキャプテンマークも背番号の上に置かれていました。

すべて監督が知っていたようです。そして、母の失敗を誰にも言わずに全て自分の力不足ということで、頑張ったA君をキャプテンに指名しました。

それから1度もエース番号を譲ることなく彼は結果を出し続けました。

高校生になった彼は今、甲子園を目指しています。
 もちろん背番号「1」をつけて。

箕浦 健治