西郡コラム 『花まる学習会は、公教育で何をしたいのか』

『花まる学習会は、公教育で何をしたいのか』 2015年1月

花まる学習会(以下、「花まる」)は公教育で何をしたいのか。現在進行中の、“今”の現場をお話します。長野県北相木村。村唯一の村立小学校で花まるの授業を月に一回実施、今年で四年目、私自身は今年度から高学年を担当している。(過疎の小学校、低学年1,2,3年合同、高学年4,5,6年合同で花まる授業)
 9月25日、本年5回目の花まる授業日、花まる社員の①高学年の「精読とイメージ化」授業45分、②低学年花まる授業45分、③花まる思考授業(花まる独自教材「なぞペー」を使った動画授業)低・高学年各45分、④学校の先生が行う「花まるモジュール」低・高学年各15分、⑤通常授業の冒頭5分行う「花まるタイム」(今回は、2年国語,3年算数)、⑥放課後、全先生と花まる社員とで各授業についてのブレスト、これが月に一度の花まる授業日の一日。
 このブレストに、学校の官と塾の民の垣根はない。この教材いいですね、もっとこうしましょうか。できない子にもこれならできる達成感が得られる。できる子もあきさせない。など等。ブレストは1時間半続き、次はどんな教材を作ろうか、授業をしようか、建設的意欲的な話ばかり。今日の「花まるモジュール」、テンポも間もよく、よかったですね、と話しかけると、先生たちは楽しんでやっています、面白いんです、とうれしい言葉が返ってきた。
 多くの自治体から、花まるに問い合わせがくる。その都度、まずは見てくださいと授業見学を案内している。学習塾や通常の授業とは違うと説明しても、どこか固定観念が残る。見ていただくと、やはり違います、が見学後の感想だ。
 授業開始から大きな声を出して音読をする。一見うるさいように映る。しかし、それには心身の解放の狙いがあり、つぎの集中をうむ仕掛けがある。一つひとつの教材、授業展開、授業テンポ、すべて花まる創設以来積み重ねてきた、子ども研究の成果として現在の授業に結実させている。現在も、これでいいはない、継続している。一般的な授業とは相反するやり方も見学すれば、その意図が分かり、納得していただける。
 北相木小学校では、月に一度、弊社社員が花まる授業(思考授業)をやる、花まる教材を先生がやる、花まる教材を学校用に発展させる、個々の対応だけではない。学校の学習目標に、花まるの学習を通して学校に学びの土壌をつくると定め、学校全体として、花まるの考え方、理念に共感、共有していただいている。
 学校の、塾のプライドは捨て去っている。意味のないことにこだわっていない。少子化の時代、将来を担う子どもたちをどう育てていくか、学校も塾も同じ目線で取り組んでいるのも、花まるへの共感、共有があるからだ。
 少子化が加速する過疎地は小学校の統廃合に直面する。村唯一の小学校がなくなると村は廃れる。学校を喪失する危機感は学校改革の原動力にもなる。何としても学校を存続させたい。村は山村留学センターを運営し、花まると提携し、就学人口の流入をはかる。
 村に移住しても通わせたい、山村留学させても通わせたいと思うだけの学校をプロデュースするには、花まるの理念、思考授業、教材、指導法を導入するだけでは足りない。この地の恵まれた自然環境を生かした教育があることが、首都圏にはない、魅力ある学校づくりになる。
 北相木小学校全校児童で「青空授業」を行った。学校を離れ森に行き、異学年で班を組み、課題に班で挑戦する。どんな音があるだろうか、擬音を集める。川の温度は何度だろうか、体感で水温を予想する。何種類の落ち葉を集められるか。どんな種類の生物がいるか、スケッチする。子どもたちは生き生きと課題に取り組む。午前の青空授業を終え、草をシートにして皆で給食のお弁当を食べるころには、子どもたちの心身は解放される。
 花まる学習会の設立当初から培ってきた野外体験のノウハウを、「青空授業」として学校教育に生かす。そして、子どもたちが遊びつくす場として「花まるの森」をつくり、恵まれた自然環境のなかで学び、遊べる、魅力ある学校をプロデュースする。
 公立小学校で月に一度の「思考授業」から、花まるの公教育への貢献は始まった。そこから学校の先生自らが花まるの教材を使った「花まるモジュール」を花まるスタイルでやり、通常の教科授業にも花まるの考え方、授業展開、授業テンポの要素を取り入れるまでになってきた。私たちの野外体験で培ったノウハウを「青空授業」として学校の授業の一環として行い、学校教育に新たな視野を提供した。そして、公立小学校をプロデュースするまで花まるが入り込む。
 しかし、私たちが花まるの考え、やり方を学校、先生方に押し付けることはない。先生が与えられるのを待つのでは、本末転倒、無駄なこと。むしろ、先生方が私たちの考え、指導法に共鳴し、子どものためになると思ったから、率直に受け入れる。しかも、学校流にアレンジして提供する。自分たちで考えてつくって授業で生かすから、子どもたちにも響く。先生が主体性を取り戻し、子どもたちも主体的に取り組む、好循環をうむ。
 私たちの存在は、いわば触媒。先生が本来やりたかった教育に立ち返る契機となればいい。公立学校に少しでも役立てばいい。花まるだけではなく、いろんな塾、教育産業が、官民問わず、未来を創る子どもたちのために、いいものを提供する。その魁になればと思い、私たちは、今、公教育の現場に入っている。

西郡学習道場代表 西郡文啓