西郡コラム 『成果は何ですか』

『成果は何ですか』 2014年7月

武雄市市議会議員が数名、花まる学習会の授業の視察に来た。市長は推進しても、市議の多くは公立小学校に塾が入ることに抵抗があり、懐疑的だ。塾は進学優先という、固定したイメージを持っている。だから、花まるを知ってもらうには、まず、実際に見てください、花まる学習会が公教育に何を提供したいのかわかります、と伝えてある。「花まる学園」を推進する武雄市の教育課のスタッフが、市議を花まるに送り込んでくれているのも、花まるは皆さんが考える塾とは違うのです、ということをわかってもらうためだ。
 到着すると、旅の疲れもあるのか、市議も表情が硬く、いっ たい何を見せるのだ、という態度だった。しかし、四字熟語、キューブキューブ辺りになると、だいぶ表情も和らいでくる。力いっぱい音読をする、動き回る、できた、イェイ、開けーゴマと躍動感あふれる授業に次第に引き込まれていく。子どもたちが活き活きとしている様子に、納得してくれる。90分間休みを挟むことなく、一気に授業を行うことも驚きのひとつだ。授業を一貫してみてもらうことが大事。テレビ等で映される、断片的な授業場面では、花まるの授業は理解できない。躍動感のあとの集中、静寂の練りこみで授業は構成されている。四字熟語、キューブキューブ、パターンメーカーなどは前者、サボテン、あさがお、なぞぺーは後者になる。集中のために、子どもたちは発散するのだ。それを理解するためにも、通して授業見学をしてほしい。
 リズム感のあるテンポ。昨年、武雄市でタブレットを使った「反転授業」の研究会があった。そこで、動画のナレーションを子どもたちがわかるようにゆっくり丁寧に入れてほしい、という要望が先生からあった。ゆっくりは大人が考えるテンポ、果たして、子どもたちはそのテンポで飽きないのかという疑問が残る。学校では当たり前だと思っている慣習を、これは本当なのか、という疑問をもつ。花まると提携することで当たり前になっている学校の慣習を洗い出しできればいい。花まるが学校に入る意味がある。
 北相木の小学校で、自ら花まるスタイルを導入してくれている先生から、花まるのよさは教材もさることながら、その思想です、という言葉をもらった。教材のよさでいうと、たとえば、サボテンは、みんなが最終的にできる、達成感が得られる形にしてなっていて前日の自分より、より正確にはやくを狙う教材、他人と比べようとしない子どもたちがいる。この点は、見学した武雄市市議も理解してくれた。できない子は、よりできない子を探すことを取り除く。花まるの考えでいえば、子どもは落ち着きがない、飽きる、だから、教材を集中して取り組んだらすぐに切り替える。そして、躍動感は、子どもたちの解放、ありがままの子どもたちを教室でさらけ出させる。本当の学習はそこから始まる。できた、をテーブルごとに唱えるのも、子どもは群れるという考えから。子どもは何とかついていこうとするのだ。そして、自ら何とかしようとする意識が後々の学習においては大きい。自己肯定感、達成感が子どもたちの将来の挫折を乗り越える力になる。
 北相木の先生は、そういった思想を理解してくれた。私自身が教えられた言葉だった。形だけ花まるスタイルをやっても意味がない。どんな考えでやっているのかをわかってもらうことが重要。学校教育に花まるが入るということは、教材の導入ではなく、花まるの考え方を導入することだ。どこまでそれができるか。北相木の先生が理解してくれたということは、武雄市の先生たちもきっと理解してくれる、花まるに共感してくれる、展望が持てる。実際、市議から、学校の先生にはやく見せたい、ということをいってくれた。
 授業の見学を終え、別室で質疑応答に入る前に、念のため、それぞれの教材の意図、どんな能力を育てたいか、学習の進め方を解説した。また、見逃しがちな、教材と教材のつなぎの大切さ、花まるの考え方を説明する。たとえば、パターンメーカーの解答を見せるとき、開けーゴマ、と子どもたちに唱えさせる。こっちを見なさい、集中しなさい、という言葉を避ける方法はないのか、指示して従うのではなく、自然とやりたいと思わせる、花まるの授業スタイルが日々の研究の積み重ねである。花まるを見学後の説明会では、花まるをより正しく理解してもらうために、花まるのやろうとしている意図を添えることにしている。
 市議の態度もすっかり変わってきた。花まると組む展望を感じてくれている。しかし、一人の市議から、花まるを導入することで、見える成果はありますか、という質問がでてきた。「成果」とは、たとえば、全国一斉も学力試験等の結果が花まるを導入することで上がった、他市より上になっている、といった類のものか。成果がでれば、花まる導入を武雄市民も納得してくれる、と市議が思うのも尤ものことだ、「目に見える成果」がほしい。
 しかし、私はやんわりと反論した。「成果」というのは、学力を上げることだけですか。塾が学校に入るというのは、未来を切り開くエリート、指導者を育成すると思われがちですが、花まるはそうではない。もちろん、花まるの教材をやっていけば、成績は出ます。しかし、数名のエリート、指導者が出来上がる途中に多くの子どもたちは挫折していく。挫折した後に、自分の身の振り方をどうしていくか、リカバーできる心身を鍛えていくことが学校の任務です。学校が選抜のシステムになっているところから解放したい。だから、花まるを導入したいのです。学校がよくなってほしいから、できることを私たちは協力する、と訴えた。

西郡学習道場代表 西郡文啓