『同志』2015年6月
半年ほど前、保育園に通う2歳の我が子との帰り道は、毎日が戦争でした。駅から子どもの手を引いて、神社を通って帰る日々。
「今日は泣かないで」と祈るような気持ちで歌を歌い、子どもの視線をそらせ、どうにか視界に入れまいとするのですが、今日も子どもは発見してしまいました。薄闇の中に煌々と浮かび上がる、飲料自動販売機を。
「これこれこれ!」
「ないない。行くよ。」
「これ!これ!これーー!これーーーー!!!!」
「おうちに帰ったらあるから(水が)。」
足早に去っていく人たちの中、ギャーギャーと大粒の涙を流しながら泣かれて、困り果てる私。
まずは、「そうだよね」と飲みたい気持ちに理解を示しつつ、言葉でさとしてなだめてみます。全く効きません。次に、エビぞりで抵抗する子どもを無理やり抱えて、その場を離れてみます。泣きながら走って戻ろうとします。仕方がないので最後は、「もう知らない」と、子どもが追いかけてくるのを遠くの木の影で待ってみます。暗い中、子どもをギャーギャー泣かせて、私はいったい何をやっているのだろうと自己嫌悪に陥ります。
でも、腰が痛むので、ずっと抱っこして帰るわけにはいかないし、別の道は通行人に迷惑だし、ベビーカーにはもう乗ってくれない。保育園から2駅を自転車で漕ぐのも、冬なので寒いし風邪もひかせられない。
「誰だ、自販機なんて発明したのは…!」「自販機で飲み物を買ってあげたのは誰だ、夫か…!」と見当違いの怒りまで湧いてくる始末。私自身も心の余裕をなくしていました。
そんな日々を繰り返して、心が折れかけていた頃、自分の母と話すことがありました。
「自販機でさぁ、泣くのよ、毎日」と、ポロっとこぼしてしまった私。すると母は
「ああ、私も闘ったわよ、ずいぶん」と、一言。
…こんなに母の一言が胸に沁みたのは、久しぶりでした。
「そうか。母が闘ったのなら、私も屈することなく闘おう。だって買ってもらえなくて泣いたことなんて、一つも覚えていないもの」。
決着は4か月ほど経った春。子どもも、ようやくあきらめました。暖かくなり、帰る時間にまだ空が明るさを残しているため、私の心に余裕ができたのも大きかったのかもしれません。
子育てに奮闘している今だからこそ、共感しあえる「同志」の関係。子どもが生まれるまで、自分の母とこんな間柄になれるとは、思ってもみませんでした。女性にとっての子育てとは、自分の母との関係を、なぞっていくような体験なのかもしれません。
「お母さん、子育ての何が苦しかった?」
「お母さん、子育ての何が嬉しかった?」
きっと、私は母のようになる。強く逞しく、ちょっと頑固な母。そんな確信が生まれた今日この頃。今年の母の日には心からの「ありがとう」を届けます。
川波 朋子