高濱コラム 『手紙で伝えよう』

『手紙で伝えよう』2015年8・9月

 保護者との面談。たいていお母さんがいらっしゃるのですが、大切な時間です。教える現場を持っていることで、「子どもってこういう生き物」という皮膚感覚を、いつもビビッドに持っていられるように、定期的にお母さんの肉声を聴きとることは、「母たちの今」を肌に刻む貴重な機会なのです。
 花まるを始めてからでも22年。教育現場としては30年近くキャリアを積んできたので、今初めて6歳児を育てている一人のお母さんの悩みなど聞いていると、森の長老の動物のように「あるある、あるよ。みんなそうじゃったよ」とうなずくばかりです。
 例えば、子どものことについて心配性のお母さんが、よくはまる落とし穴があります。一例をあげると、自分の弱みを知っているがゆえに、「わが子もそうなるんじゃないか」と不安になってしまうというパターン。数年前のあるお母さんは、特定の人と深く付き合うのが得意ではないし、私こそが弱い人間だと思って生きてきた。一人息子がちょっと叩かれたと聞くと、胸が張り裂けそうなくらいつらい気持ちになる。「この子も、どうもイジメられ体質を持っているような気がするんです」と打ち明けられる。
 ところが、お母さんの目にはそう見えるのかもしれないけれど、私から見ると、テカテカニコニコいつも元気な子。確かにちょっかいを出されることもあるけれど自らも出している、お互い様の男子ワールドを、健やかに生きているだけです。「それが証拠に、学校や花まるに行きたくないと言ったことありますか?」と聞くと、「確かに、学校も花まるも大好きです」。人が違うと、世界の見え方はこうも違うのかという例です。同様のことは、毎年繰り返されます。
 ここから言えるのは、「だから、私たちの存在意義があるんだな」ということです。地域なき今、孤独な戦いを強いられているお母さんたちには、味方が必要です。子を思い、深く愛するがゆえに、心配になり悩みつきないお母さんに、「大丈夫だよ」と支え続ける人が。まずは夫ということになるでしょうが、私の経験では、若いお母さんのゆりかごとも言うべき、たくさんの先輩や仲間たちの声掛けや支えや温もりのあるつながりが必要なのです。それが希薄な今だからこそ、ただの塾ですが、私たちは網の目の一つとして、「お母さん、大丈夫!」と、経験を踏まえたプロの目で、言い続けたいと思います。

 さて、そんな保護者面談で、今年面白いことがありました。一人のお母さんが、「15分を有効に活かしたいから」と、私が面談でいつも聞く内容について、あらかじめ手紙に書いて持ってきてくださったのです。①家族構成、②両親の実家、③近況と悩み、④母の性格、⑤わが子に対する心配事、⑥通っているお稽古事…。一読してスウッと内容が頭に入りました。そして、他の方より明らかに深く踏み込んでお話しができました。
 これはいいなと思いました。一仕事になるので強制にはできないけれど、書いて渡されると、全体が整理された形で構造的に見えたことが一つ。つまり、理解に10分かかる内容を1分で、しかもより効果的に伝えてくれたのです。夫に対して不満があったら、感情的に口頭で言っても、論点が絞れずグダグダになりがちだが、書いて渡すと伝わりやすいですよ、とよくお話しするのですが、まさにそれに似たことが起こったのです。瞬間でそのお母さんの心のありようが「見えた」気がしました。音声言語で伝えられるより何て分かりやすいのでしょう。
 ちなみに、これは特に女性から男性への黄金パターンだと思っています。かつて一人の2歳児を育てながら働いている女性社員が、全社員が閲覧する日報システム上で、ある深夜(明け方)に、息子に起こされてさんざ振り回されて疲れ果てた顛末を、掲載したことがありました。それはセツセツと浸み込む文章で、男性軍団に衝撃を与えたのです。分かったつもりになっていたが、こんなにも大変なんだ!というのが、男たちの感想でした。同じ内容を口で言われても伝わらないのに、書いて渡すと伝わる。特に負の感情を抱えたときなどは、もっとも有効です。
 さらに良かったことが一つ。そのお母さんが「手紙にまとめたことで、何か自分でもちょっと楽になりました。」とおっしゃったことです。これは重大な真実です。「13歳のキミへ(実務教育出版)」で、私は「日記を書け」と子どもたちに勧めました。「何に傷ついたかを言葉にしろ」と書きました。よく問題点を明確に抉り出せたら、それは解決したも同然だと言われますが、憤懣や怒りや不安があったとしても、自分を俯瞰する視点から言語化し書ききると、スーッと楽になれます。このお母さんにも、それが起こったのでしょう。言わば、「面談前にスッキリ感がもたらされている」、ということですから、良いことですよね。
 似たようなこととして、講演会の感想文を、私が捨てられないことがあります。肉筆だからこそでしょう、どこか一人ひとりのお母さんからの手紙に思えるのです。想いが伝わるというのか。実際にその迫って来る力によって、思い上がっていて、論理的に正しく解決法を言えばすむと思っていた理系男子である私自身が、「私こそが女性を分かってなかったんだ」と気づかされ、意識改革をさせられたのです。
 メール・LINEの今だからこそ、手書きの良さを見直すことも大切なのでしょう。

 さて、夏休み。受験生でなければ、大自然に触れ、外で遊びぬくチャンスです。自分で何をやるかを決め、面白くなくなったらルール変更をし、仲間を楽しませ、とことんやりきる体験は、たくましい人間力を育み、頭脳も鍛えます。多くの経験に満ち満ちた夏でありますように。

花まる学習会代表 高濱正伸