『大川小で考える』2015年10月
サマースクールの「高濱先生と行く修学旅行」で、3・11の日に70名の子どもと10名の先生が、津波で亡くなった大川小を訪ねました。日々あふれる情報の中で、新聞で見る限りでは、「あんな非常時のことで訴訟しても仕方ないだろう」と思っていたのですが、行ってみて驚きました。学校のすぐ裏に、未就学園児でも楽々登れる緩やかな山道があったからです。地震から50分もの間、いったい何をやっていたのか。
花まるは、夏のコースだけでも7000人もの子どもの命を預かる仕事ですから、「危険」については、野外体験部を中心にして学び続けています。過去の事故事例は、他のどんな組織よりも研究してきたつもりです。しかし、それでも日本全国を見ると、毎年「そんな事故が起こるのか」というケースが、新しく起こっています。できうる準備に全力を尽くし、「次、何が起こるか」に想像力を発揮して、最後は動物の嗅覚のような力で、危険を回避してきた歴史でもあります。
さて、大川小学校。いったいなぜという問いに、地震以来4年以上も現地に張り付いているNPOの関係者が、教えてくれました。この話を聞かなければ「ひどいな」という程度の感想で帰っていたでしょう。色々なことが分かりました。一人の生き残った先生は自宅待機を命じられたままで、いまだに何の情報も得られないらしいのですが、生き残った4人の子どもたちの証言をつなぐと、様々な問題が見えてくるそうです。
1 決めきれない集団心理
校庭に待機している間、子どもの中には「山に逃げよう」と言っている子もいたそうです。しかし、先生同士が議論しているときに、そういう意見が出ても、一人でも反対意見があると、そこで配慮してしまって、決めきれず時間を消費してしまった。決断力を持ったリーダーシップの不在とも言えるかもしれません。
2 責任回避の心理
「多分こんな場所(海岸から3.5㎞も離れている)まで津波なんて来ないのに、無駄に山に避難なんかさせて、誰かがケガでもしたらどうするの」という思考癖。「安全」「安心」を盾に、ある決断を「しない理由」を聞くことは珍しくありません。一面正しそうですが、そこにあるのは、前例のないことはなるだけしたくないという、一種の思考放棄のようにも見えることも、ままあります。「山に避難という前例のないこと」を回避する心理が働いたのではないか。
3 まさかね、のワナ
こんなに海岸から離れているのに、まさかこんなところまで津波なんて来ないよね、と多くの人が思っていた。交通事故や癌などもそうですが、我が身にも確率論として同じ確からしさで、降りかかってもおかしくないのに、人間はどうしても「まさか自分には来ないだろう」と、思いたがるところがある。私自身も確かにそうです。
4 権威が誤判断を後押ししてしまった。
侃侃諤諤と、先生たちが決めきれないでいるところに、地元の古老に近い方が来て、「大丈夫だよ、ここは」と発言したことで、山への避難を決断しきれなかった流れを後押ししてしまった。
5 デザインの落とし穴
県内はもとより、全国的にも目立つくらいの、曲線を活かした斬新なデザインの校舎だった。格好良い自慢の校舎ではあったが、屋上を作っていなかった。
これらは、私たち誰もが陥りがちな落とし穴でしょう。
1番と2番については、前日に見学した雄勝小学校跡地での、語り部の女性の話が対照的で参考になりました。雄勝小での学校長判断は、「体育館で待機」であった。ところが、一人の駆けつけたお母さんが、すごい剣幕で「違うでしょう! 津波のときは山って決まってますよ!」と叫んで、それがきっかけで全校生徒が、裏山の神社へ避難した。すぐに無線でも「堤防を越えた」という情報が入ったので、また上の碑の場所へ移動。さらに本当に津波が押し寄せた時点で山の中へ移動、と的確な判断で全員の命が助かったのだそうです。その足取りを、子どもたちと追体験して登っているときに浮かんだのは、前例主義の判断を吹き飛ばした、子の命を思う母の思いの強さでした。
3番や4番も思うところ大です。生きていれば常に大小さまざまな決断をしていますが、どうしても生きた時間の中での経験を根拠にすることが多い。「まず無いでしょう」と。しかし、地震や噴火や津波というような大自然の災害を相手にするときには、現存する大人たちの人生時間などたかが知れている。千年万年単位の知恵に謙虚に耳を澄まさねばならない。神社が何故その位置にあるのか、なぜそのような地名なのか、古文書には何と書き残してあるのか、地元の言い伝えは…。
子どもを揺さぶり、人生を真摯に考えるきっかけを与えるはずの企画でしたが、私自身が揺さぶられ考えることになりました。しかしそれは良い時間でした。子どもは子どもでそれぞれに自分の目と心で感じている。青空の下、それらが大きく共振しているのを感じました。
花まる学習会代表 高濱正伸