『学校の先生と研修』 2016年4月
佐賀県武雄市の公立小学校で2015年度スタートした、官民一体型「花まる学園」は来年度3校増え、計5校になる。新年度「花まる学園」を開講する小学校では先生の「花まるタイム」の研修が始まった。
「花まるタイム」の理念を理解してもらい、その後、実際にやってみる。理屈、考え方、やり方が共有できないとぶれてくる。理屈、考え方、やり方が分かっても実際にできるかどうかは別。練習、共有、修正、練習の繰り返しで定着していく。ダンス、ピアノなど身体を使う稽古事と同じ、繰り返すこと。頭で考えない(不必要な間)で動きが自然とできる段階になると、型はできる。
理屈が分かれば動きがうまくできる人もいれば、時間がかかる人もいる。個人差はあるものの、7月まで続けると「花まるタイム」の進行の形はできる。しかし、自分勝手に解釈したり、方向性が間違っていると私たちが求める「花まるタイム」とはちがうものになる。
若い先生が受け入れに柔軟でベテランは自分の型が抜けない、は固定観念で年齢に関係はない。ベテランの先生でもテンポのよい、子どもにわかる授業をしている先生はすんなりと「花まるタイム」をこなせる。偏見のない、自分に自信のある先生ほど他者を受け入れる。その人たちは型を真似ても、その人なりの個性、人間性が出るのはわかっている。
先生方に多くは指導しない。毎日(週に4回)やり続ければできてくる、今、完成品を求めない。ただし、毎日やっていることでぶれが生じる。それを修正するために肝心のことだけを残す。声を出すこと。花まるタイムは音読から始まる。しっかり先生自ら声を出すこと。解放と集中、学校の従来の音読とは違うものだと理解してもらう。
テンポをよく、リズミカルに。子どもたちが心地よい速さを見出す。そのためには子どもたちをよく見ること。毎日やると飽きや形骸化が生まれる。防止するのは子どもたち自身から感じるしかない。埋まらない空間、間をどう埋めるか、子どもたちをどう乗せていくかを自分で考える。自分が受け持つクラス、自分が受け持つ花まるタイム。
「花まるタイム」は学校生活の開始の合図。楽しい、明日もやりたいと思わせる。そのためには、やりすぎないこと、教えすぎないこと、その日の欠点を持ち越さない。毎日やれば子どもたち自身で見出していく、わかってくる、できてくる。子どもたち自身が実感することこそが大切で、先生業は教えるものという思い込みを捨てる。
そして、待たない。全員がそろうまで待つという、見かけの思いやりは不必要。
遅れれば必死になってついていこうとする。自分が何とかしなくてはいけないと思うことが、その子の自立。毎日やっていれば、必ず、あなたはできるという視線だけ投げかけてやればいい。
子どもたちの全人格と先生の全人格とをぶつけて楽しむのが「花まるタイム」。
西郡学習道場代表 西郡文啓