松島コラム 『学習の癖』

『学習の癖』 2016年5月

合格体験記を読むと、「友達やライバルの存在によって最後までがんばることができた。」という話がよく出てくる。子どもは子どもなりに周りとのつながりを意識して生きている。それを勉強へのモチベーションにつなげていくことが講師の役割の一つである。大切なことは生徒個々の状態を把握することである。私が塾業界に入った当時はマンモス塾全盛の時代で、最初に配属された校舎は生徒数800人、1クラス30~40人編成で相当な数のクラスに分かれていた。休み時間となれば廊下が生徒であふれかえり、行き帰りの時間はお迎えの車で道路がふさがれる。近隣からの苦情で警察が来ることも日常的だった。教室内もすし詰め状態で授業をやるのが精いっぱい。一人ひとりの学習状況を細かくチェックすることは容易なことではなかった。その頃の大手塾には、「宿題チェックはやりません。欠席のフォローもいたしません。家庭学習は親の責任です。」ということを堂々と標榜している塾さえもあったが、少子化とともに塾の形態やスタンスもだんだんと変化してきた。
 FCでは、親、子ども、塾が三位一体となって自学できる子どもを育てていくことが大切だと考えている。新学年になって内容も難しくなり、課題(FCでは宿題のことを課題と呼ぶ)も増えたため、子どもの様子が気になっているご家庭もあると思う。所属の校舎に気兼ねなくご相談いただきたい。
 私が新しいクラスを担当するときは、最初の一か月間、確認テストの答案をコピーし、ノートとともにじっくり見るようにしている。そこまでに身につけたそれぞれの学習の癖を把握するためである。たとえば一つの計算でも答えの出し方は一つとは限らない。時々とんでもないやり方で答えを出している生徒を見つけることがある。それでも正解なら丸をもらえるので本人は満足している。たとえ満点の答案でも、途中式はどうなっているか、筆算の有無など細部まで見ておかないとあとでつけが回ってくることがある。大きなテストでは分野ごとの理解度が浮き彫りになる。確認テストやノートには日常があらわれる。それらを面談の際にご家庭と共有していく。
 ノートについてもう一つ加えると、きれいなノートがいいわけではない。よいノートかどうかのポイントは、字の丁寧さではなく、字の大きさにある。大きさがそろっていて、一定のルールで書かれているなら、字の汚さにはある程度目をつぶってもいい。字が丁寧であることは大切なことではあるが、それと引き換えにスピードを犠牲にしていることがある。考えながらテキパキと手を動かしている状態ならば、ある程度雑になるのが自然である。極端な例を言えば、ものすごいスピードで頭を回転させている子どもは書く手が追いついていかないので、ノートがぐちゃぐちゃになっている。走り書きの筆算だけが点在しているノートもある。こういうタイプの子はすでに頭の中で完結しているので今さら式や図を書き直すなんてことはやりたくない。「そんな面白くないことをなんでしなくてはいけないの?」という目をしている。それはそれで今は正常な姿とも言える。しかし受験の世界にはそれでは通用しないレベルがある。そのうちにその必要性がわかる時がくる。
 考えながら書くスピードを鍛える方法の一つは、日々の計算練習でタイムを計ることである。他人との比較ではなく自分との闘いであることは花まる学習会と同じである。ご家庭でも計算の課題を行う際にはタイムを意識してやらせていただきたい。
 それぞれに子どもたちはいろいろな学習の癖を持っている。良いところは大いに認め、そうではないところは日々の習慣によって変えていく。中学受験は親子の受験。親も焦らず待てるかどうかが試される。