高濱コラム 『いつ鍛えるか』

『いつ鍛えるか』2016年6月

 3月のある日、二人の青年が訪ねてきました。面接試験での「はい、次の人」という順番のような感じで、続いてそれぞれに合格報告に来たのですが、何と二人の進路は全く同じ国立大学の医学部でした。学年は違うけれど、二人ともスクールFCのスーパークラス(現在のシグマクラス)の教え子であることも共通しています。
 最初に来たT君は、中高一貫私立校から一浪での合格でしたが、私立医大もほぼ全勝。余裕の合格だったようです。小1から花まるで、遠く離れたスクールFCに通ってくれました。「なぞぺーが、特に図形の力の面で役立ったと思いますね。数学は一番の得意科目でいられました。花まるの思い出と言えば、やっぱりサマースクールですね」とのことでした。

 続いてやってきたJ君は、ちょっとした有名人です。6年前の「情熱大陸」のときに、生徒側の主役として、高校合格までを密着取材された男の子です。可愛いマスクに素直な心と優秀な頭脳ということで、放映後に「J君かっこいい」「どうすればJ君みたいに育てられるんですか」と、お母様方に言われたものです。
 長い花まる人生の中でも、彼は縁の深い子で、私の埼玉の教室に小1から入会してきました。花まるの思い出と言えば、「廊下で高濱先生に遊んでもらったこと」だそうですが、私はというと、海釣り遠足に、当時としては珍しくお父さんが参加してくれて、「ああ、子育てに協力的なパパなんだな」と思ったことが記憶に残っています。
 J君は、もともと中学受験組だったのですが、6年生の夏に保護者の決断で、高校入試目標に切り替えました。体も小さく幼児性も残っているし、諸々条件も考慮して、「今ではない」と決められたようです。そうして3年後、テレビ取材の緊張もものともせず、浦和高校に合格。高校ではラグビー部に所属してレギュラーを獲得。高3の秋には、花園まであと一歩の県大会決勝まで行き、敗れましたが全県選抜メンバーにまで選ばれるほど、一つの道を究めました。
 しかし、そこからが試練でした。一浪は大勢いたから余裕だった。二浪もチームメイトが二人いたから、孤独ではなかった。しかし、まさかの三浪は一人きり。力試し的に受けて合格していたW大に、よほど行こうかと迷ったが、踏ん張った。今年も力がついていることは実感していたが、やはりセンター試験前は、もしもと考えて不安になった。しかし、T君同様、私立医大も複数合格し、念願の国立大医学部合格となったのです。
 凄いなと感心したのは、三浪の夏に埼玉県の面接を受けて、奨学金を手にしていたことです。6年間毎月20万円の返済不要の奨学金を得られるのだが、医者になったあと9年間は埼玉県内で働くことが条件だそうです。「そんなの埼玉出身だし軽いよな。しっかし偉いね、親孝行だな」と振ったときの彼の返事が奮っていました。「両親には、随分心配かけちゃったんで…」素直な言葉でした。ちなみに、合格報告を電話で受けたときに、お母様に変わってもらったのですが、ユーモア溢れるお母さんは照れ隠しもあるのでしょうが、私にこう言われました。「もう、これ以上先生のマネしないでほしいです」
私が三浪四留だったことをネタにされたのでした。

 さてJ君は成人なので、さっそく祝杯を上げに居酒屋に行きました。面白かったのは、たまたまついていたTVに、中学まで彼と一緒にスーパークラスで学んでいたT君が、「ミスター東大」と称されて出演していたことです。どちらかと言うと少し変わった風体の学生に面白半分で焦点を当てるような構成だったので、T君はあまり目立ちはしませんでしたが、格好の話題となり、おかげで随分盛り上がりました。
 それから、「じゃあ、あいつはどうしてんだ」と、同級生話に広がって行ったのですが、いやはやみんな大活躍しているのでした。
「中学受験でトップ校に行ったRは、二浪して後期日程で東大文一(ちなみにR君とJ君は、アルゴクラブ第一期生でもあります)、浦和高校でラグビー部を途中でやめたSは、目的意識を高く持って東北大の医学部に現役合格、国境なき医師団の手伝いなど海外で大活躍し尊敬されてます。Hはただもうラグビーをやりたくて、立教でラグビーです。体ハンパないですよ。Aは早稲田、Bは慶応…。」
 煌めく青年時代を過ごす若き群像。私自身はやりたい放題やりきっているので、うらやましくはないのですが、「これから」という未来を感じて、まばゆかったし可愛かったです。
 ところで、こんなに苦労したJ君の三浪ですが、気の毒なことでしょうか。40歳の医師になった時点を想像すれば、現役合格組に遅れを取っていることはないでしょう。むしろ10代後半をトップレベルのラグビーでの鍛錬に充てられたこと、浪人後半の苦しい時期を乗り越えたことは、味となって、より「魅力的な大人」になっているのだろうと思います。
 
 私は昔から、個別差はあれど、小3くらいまでは、外遊び中心に走り込んで遊び込むことが大事(集中力や想像力、やり抜く力など、大切な土台が形成される)で、スポーツにしろ勉強にしろ、将来を見据えて本格的に鍛えるとしたら、小5以降である、と言ってきました。特に小5~中2くらいは、抽象思考を始め大きく「思考の筋力」がついてくるので、大学受験で上位を目指すならば、この鍛えどき=ゴールデンエイジに、筋の良い先生に教わることが大事ですよとお話ししてきました。
 今回のJ君世代の同級生たちのその後を聞くにつけ、中学受験をするかしないかは、本当にどちらもありなんだなと痛感しました。しかし言えるのは、やはり6年生時代(を軸とした前後数年間)に、みっちり鍛えておいたことが、18歳で利いてきているなということです。4月に来てくれた、やはり小6でスーパークラスだったY君も東大現役合格でした。

 一方6年まで花まるだった女の子で、一ツ橋現役合格を伝えに来てくれたYさん。思い出すのは、「第一回高濱先生と行く修学旅行」に参加してくれたことですが、中1からFCで学んだ学習法が役立ったと、頼まれもしないのに、大学受験で勉強したノート群を、お土産に持ってきてくれました。

 個別差はあれど、小5くらいからこそ鍛錬の時代である、という持論に、強力な後押しをもらった春になりました。

花まる学習会代表 高濱正伸