『演劇と教育』2016年7月
子どもたちの学ぶ場で、最も大事な環境は、ドリルでも文具でも照明でもなく、「良い先生」です。真に実力のある先生ならば、教科書もノートも無い環境ですら、成果をあげられるでしょう。花まるグループとして大きな組織となった今、お子さんを預けてくださった保護者のみなさんに対する私の一番の責任は、愛情と実力ある良い先生を発掘し育てることです。
採用には試行錯誤してきました。人としての芯の強さ、素直さ、耐性、学ぶ習慣、愛された経験、地頭、集中力・モレの無さ…。様々な採用基準のテーマがある中でも、「感性」は極めて重要だなと思ってきました。何に感動して、人生を何に賭けようと思っているのか。指導案の段取りに心を奪われず、目の前の子どもを感じることを大切にできるか。教師としての力量の違いは、結局感性の差だなと思うことが多かったからです。
感度の良い人をどう見分けるか。一番頼りにしているのは、面接で対したときの肌感覚・空気感ですが、一時期でも「芸術にかぶれたことのある人」は、先生として「当たり」の人が多いなと思ってきました。若気の至りで、「俺は絶対音楽で食ってやる」と信じて過ごした青年や、特定のアーチストを深く愛している人、芝居小僧、作家志望…。彼らは感じやすい10代20代であるからこそ、生活設計とか就職先とかより、特定の芸術に心を奪われてしまい、傍目には道を踏み外したように見えることもあります。
しかし実は、真っ暗になるまで遊びに熱中する子どもが子どもとして十全であるように、青年として極めて健全なのかもしれないとも思います。哲学や芸術に「はまってしまう」ことは、若い頃にあって良い、というよりあるべきなのではないでしょうか。やがて結婚し子どもでも生まれれば、そんな酔狂なことは言っていられなくなるのですし、成虫として飛翔する直前の、健やかな最後の成長段階とも言えます。
そこで、新年度から「夢社員」という枠を作りました。勤務日は週四でも三でもよいし、早帰りも認めるし、芝居の発表などでまとまった休みが入っても、年間でカバーしてくれればよい。三年間限定で、好きな夢を追ってみなされ、という正社員の仕組みです。もちろん給与は少し減りますが、社会保険などはつけます。これに対して、いやいや、芸の道を目指すならば退路を断つべきと信じる人はそうすれば好いでしようが、そうだとしてもいずれにせよ何かのバイトをやるのならば、この枠組みで生活保障ができ、目指す道に邁進できるのならば悪くないよねという提案です。さっそく、三人の若者が、この枠組みで自分の夢を追い始めています。
そんな中、花まる学習会は、東京都北区にある王子小劇場のネーミングライツを購入しました。六月一日より劇場名が、「花まる学習会王子小劇場」になっています。これには、長い間の思いがあります。
一番目は、教育における演劇の可能性です。コンピュータがあらゆる仕事を奪ってしまったのちに残るのは、コンピュータにできないことであるとして、21世紀型学力という言い方で、コミュニケーション力やプレゼン力などが、よく語られています。知識の記憶や検索や計算はすべてコンピュータがしてしまう、人が人を魅了するような力こそが大事なのだと。それは概ね間違いない方向でしょう。
しかし、では我が子に、その力をどう育てるか。花まる学習会は、もともと社会的引きこもりの問題に注目して始まったこともあって、具体策があります。例えば、授業での大声での一斉発声。人とうまくやれない人の一つの特徴がボソボソしゃべりであり、それは個性と許してはいけないのです。言うべきときはキッパリ言い切れる基礎としての一斉発声なのです。計算などの基盤力以上に、なぞぺーに代表される思考力育成に取り組んできたこともそうです。友だち申し込みなしの野外体験での遊びこみと共同生活は、人間力育成としての直球ど真ん中の策です。
しかし、やりたいなと思いながら手をつけられなかった課題もまだまだあって、一つが演劇を取り入れることでした。「相手の気持ちになって読みなさい」と言われてもピンと来ない子でも、お芝居をさせれば、自然と「なりきる=相手の立場になる」ことを体感します。「モジモジしてないで、はっきり言いたいこと言いなさい」と言われても、気後れして変われなかった子も、何かの拍子にエチュードに集中できると、宝塚の男役のスターがやってみせるように、パンと前を向いてセリフを言えます。演劇には、大きな可能性があるのです。いや、21世紀型学力が喧伝される今なら、英語やプログラミングの前に、義務教育で演劇を取り入れるべきではないかとすら思っています。
二番目は、良い先生を採るための戦略です。前述したような意味で、東京に浮遊する演劇青年の中には、実は教育に回ったら素晴らしい才能を発揮できる人が多いと確信に近く思っているのです。創立から一緒に支え合ってきた西郡学習道場の西郡は、劇団東演の役者(鳳蘭さんとサシで芝居をしてテレビに出ていたこともあります)でしたし、社員育成の発声指導をしてくれている三原は、劇団四季の出身。テーブル講師の若者でも、「お、いいね!」と思うと芝居関係者であることは多く、つい先日も「なんだ、あなたは民芸でしたか」ということがありました。イギリスでは、教職課程で、先生志望者は必ず演劇を学ぶのだということも、記者発表の会見で隣り合った谷賢一さん(小田島雄志翻訳戯曲賞や文化庁芸術祭優秀賞などを受賞している新進気鋭の芝居人)から聞きました。このネーミングライツをきっかけに、多くの演劇青年少女たちに、花まるを知ってもらうきっかけになればなと願っています。
懸案を一歩前進させることもできましたし、「子どもたちにお芝居に触れさせる」「子どもたちに演劇をやってもらう」「社員研修として、演劇をさらに有効に使う」「親の学校や、親子の学校としての演劇の可能性を模索する」など、色々な可能性が見えてきました。これからが楽しみです。
さて自分を振り返ってみると、野田秀樹の夢の遊眠社の大看板が駒場に掲げられた、学生演劇勃興の時代を共有したことや、古今亭志ん朝はじめ落語にはまってはまってかぶれた一時代を過ごせたことは、回り道でしたが、悪くなかったなと思えます。答えは一つではありませんが、これからの時代、人前でも堂々と語り、人の心をひきつけられる人に育てましょう。
花まる学習会代表 高濱正伸