『子どもたちに支えられて』2016年8・9月
人を追及するときは、クリーンで威勢の良いことを言い続けながら、その裏でずっと小銭をごまかしていた、あさましい人物が都知事の座を去りました。辞任間際の一連の会見の、へ理屈と言い訳と厚顔無恥ぶりは、嘆かわしくみっともないものでした。切れ味良い弁舌に言いくるめられ、こんなにも立場にふさわしくない人を当選させてしまったという「見る目の無さ」は、有権者の心をも深く傷つけました。しかし、見方を変えれば、「人を選ぶときは、表面的なスマートさや巧言令色ではなく、その行動を見極め、哲学や器を見抜く」という点で、社会全体の眼力が上がるきっかけになったかもしれません。個人としても社会全体としても、大切な事は、失敗したときに、どれだけ本質的な学びを勝ち取り以後に活かしていけるかですから、苦いけれど成長の機会だったと信じたいところです。
この春、法人として久しぶりに税務査察を受けました。「どうぞどうぞって感じだよね」と経理の社員と言い合っていたのですが、一ヶ月に及ぶ調査の結果、修正はわずか二万円のみでした。昨年夏の沖縄サマースクールで、台風のために延泊が発生したときの会計処理に関するものです。私個人は本当にだらしないのですが、経理社員たちがいかに数値に正確で優秀かということは、証明されたと思っています。
そのことを、自慢気に、ある経営者に話したところ、「それ、バカ正直って言うんじゃないの」と言われました。普通の会社はギリギリまで節税の工夫をしているから、査察があったら、一定の「お土産」を持って行かれるのが当たり前で、その金額で済んだというのは、あまりにまじめに税金を払い過ぎているのでは、という意味です。
「見つからなければラッキー」とばかりに、脱税の域に手を染める人もいるだろうし、境界ギリギリの「違法ではないが不適切」な線で生きる会社もあるでしょう。現実は甘くないし、みな生き残るのに必死でもあるでしょう。しかし私は、公器である株式会社の役割は、業務そのものでの社会貢献や雇用での貢献と並んで、税金をしっかり納めることだと思っているので、自分の信じる道を歩いていきたいと思います。
現実の厳しさという意味では、年の始めに、驚くことがありました。「算数脳」という言葉の、登録商標を、ある塾が申請したというニュースです。「小3までに育てたい算数脳」や「算数脳パズルなぞぺー」シリーズよりだいぶあとに、「算数脳」をつけた本を出した会社があるとは聞いていましたが、まあちっちゃなことに難癖つけてもなあと、大目に見て見逃していたら、まさかのリアルジャイアン。「どけどけ。それ俺のだから!」と「横取り作戦」を敢行されたのです。「正直に生きなさい」と育てられた田舎っぺにとって、これは本当に驚きでした。そんな仕打ちを受けることがあるのだと。ボヤボヤしていると食われてしまう、生き馬の目を抜く社会からの洗礼でした。
結果はどうなったかというと、申請は、商標法第15条の2に基づいて特許庁から却下されたのでした。その理由書を、知り合いが手に入れてくれました。
本願商標(算数脳)は、埼玉県さいたま市に本部のある学習塾花まる学習会代表で塾講師の高濱正伸氏が考案した「見える力」と「詰める力」のふたつからなる算数的なひらめき力を育てる教育論で、この教育論を自身の学習塾で実践し、これに関連する多数の著書も発行されている教育論の名称を表すもので、本願商標の登録出願前より、我が国の取引者・需要者の間において広く認識されていた著名な商標と認識されるものです。
正直者がバカを見ずに済みました。あらゆる分野のもの凄い情報量の中で、的確に見ていただいた特許庁に感謝ですが、危うく今後「算数脳」を冠した本すら出せなくなるところでした。
さてさて、「どぎゃんかなるどたい」という大らかな熊本精神のおかげか、結局いつも誰かに助けられてこうやって生き延びてきたのですが、このような件は、まあ小ストレスではあります。そんなとき、いつも子どもたちの存在に助けられてきました。「授業に行くと、元気になれるよね」は、合言葉のように、いつも社員たちの間で飛び交っています。
一年生のR君。五月から、教室に入るたびに泣いています。入院した弟君の付き添いで、お母さんが離れた町の病院にずっと行っていることが根底にあるのは知っています。そのたびに「Rが、一生懸命、勉強をがんばるのが、一番お母さんを元気づけるのは知ってるよね」と言うと、泣きながらコクリ。授業が進むと元気に手を挙げるようになるのですが、他の子がママの送り迎えなのに、自分はおばあちゃんであることが、会えない寂しさを掻き立てるのでしょう。それにしてもいじらしいし可愛い。
そのお母さんとの面談がありました。夫は「兄であるRの前では泣いたりするな」と言うけれど、弟の今後が心配で仕方ないし、看病疲れもあるのでしょう、久しぶりにR君と一緒にお風呂に入ったとき、ついポロリと泣いてしまった。するとR君はその姿を見て「お母さん、可愛い弟を生んでくれてありがとう」と言ったのだそうです。何とか母を支えたい、幼い男の子のナイトぶり。こんなに混じりけの無い、純粋な美しさがあるでしょうか。
こんなとき、私はまた「よっしゃ、頑張るぞー!」と、快晴の心になれるのです。濁った現実を生き抜く力を得るのです。
さあ、夏。その学年、たった一度の夏。
第一に安全を。その上で、子どもたちが強くたくましく育つ、多くの体験に満ちたひと夏となりますように!
花まる学習会代表 高濱正伸