松島コラム 『前の問題を考えている子』

『前の問題を考えている子』 2016年7月

「一週間のスケジュールを立てて、その通りにやろうとはしているんですけど、塾の宿題が終わらないんです。うちの子はスピードも遅いし、要領も悪いんで困っちゃいます。」
 こういうご相談を受けることがあります。
 「具体的に言うとどういうことですか。」
 「書くスピードがそもそも遅いですし、とにかくじっと考えこんでいるんです。わからない問題は塾の先生に聞けばいいから、今は他の問題をやりなさい、と言うんですけど、ほんとに融通がきかないというか・・・。そのうちに寝る時間になってしまい、慌ててやっているようなのですが、授業についていけていないのではないでしょうか。」
 このケース、お母さんは困り果てているのですが、もしかしたらこの子には前途有望な未来が待っているかもしれません。
 人間の頭の中は外からは見えません。実際に問題を解いているときは、暗算をしていたり試行錯誤して論理を組み立てていたり、複雑な作業を頭の中で行っています。スピードや要領を求めすぎると粘り強く考える機会を奪ってしまう可能性もあります。
 以前、私の教え子に授業中に指示している問題の一つ前の問題をいつまでも考えている生徒がいました。「もう次の問題に入っているから、その問題をやりなさい。」と言ったのですが、どうも聞こえていないらしく(本当は聞こえていたのだと思いますが)、解説が終わっている問題と授業ノートをじっと見ているのです。鉛筆を動かしているわけでもありません。そして数分したのち、何事もなかったかのように次の問題を解き始めました。「なにかひっかかったことがあったんだろうな。あとで聞いてみよう。」とそのまま授業を進めたのですが、そのあともときどき、終わった問題をじっと考えこんでいるのです。
 「わからないところがあったの?」「いえ、別に。大丈夫です。」
 また数分遅れて次の問題を解き始めるのです。
 彼から直接聞いたわけではありませんが、彼は納得できない問題をそのままにして次に進むことがいやだったのだと思います。あとで考えようと思ってもいろいろ忙しくてやる時間もないし、自分の質問で授業が中断したらほかの生徒に迷惑がかかってしまうということもあったのでしょう。
 授業後に「理解するのが遅いんですみません。」と少しはにかみながら言っていたのですが、どれもこれも遅いというわけではありません。解答への道筋がパッと見えた!という問題は迷いなく早く終わるので、全体としては遅れていないのです。「ギアチェンジのタイミングは彼に任せよう。」私は同様の場面に出くわしても見て見ぬふりをするようにしました。わかったつもりでその場を流すのではなく、自分自身が納得できるまで考え抜くことのほうがずっと有益だからです。これまでも授業中に彼のような行動をとる生徒を何人か教えてきましたが、どの生徒も受験結果は極めて良好でした。一見遅いように見えても一つひとつを確実に自分のものにしていくことが合格への近道であることを、第一志望合格という形で彼は証明してくれました。
 数年後、たまたま大学生になった彼と当時の話をする機会がありました。
 「お前、授業中によく前の問題をやっていたよな。」と伝えると、「ばれてましたか。」と照れくさそうに笑っていました。私と彼にしかわからない会話。これからも納得のいかないことにはこだわり続ける人間であってほしいと願っています。