『大切なこととは何か』2016年11月
花まる学習会の教室に入るたびに、いつも子どもたちの元気で明るい声で溢れているなあ、と感じます。どの授業を覗いても、本当に楽しそうにみんなが授業を受けているのです。
スクールFCでも「学ぶ楽しさ」はとても大切にしています。それでも中学受験に向けての勉強となると、「受験に合格する」という目的が大きなものとして前面にでてくるあまり、暗記や解法の知識を増やすことに目が行きがちです。どうしても、そこに向き合わなければならない場面もあります。学ぶ内容には、豊かさもあり、膨大さゆえの厳しさも含まれているのが中学受験です。
進学塾の世界で、長く受験指導に関わりつづけているなかで、気をつけていることがあります。勉強ができることも大切ではあるけれど、それ以前に、一人の人間として大切なことを忘れてはならないということです。「挨拶がきちんとできる」「他人を思いやることができる」「お互いの福利に貢献すべく努力することができる」たとえばそういったことです。
中学受験は、長い人生から見れば一つの通過点でしかなく、合格することがゴールではありません。昨今よく言われることですが、たくさんの卒業生を送り出してきた中で、「それは真実だな」と思います。「勉強はできる」人として社会に出てしまい、人間関係の構築で苦労している、元生徒の悩みに触れたこともありました。
FCでは、自主性を伸ばすために「できるだけ、自分で支度をしよう」と指導しています。それでも「授業にテキストや課題を持ってくるのを忘れてしまった…」そんなときに、謝ることよりも先に「お母さんがかばんに入れてくれなかったから」と言い訳が口をついて出そうになる子、実際に出てきてしまう子も、ときに見られます。そういった子に対して「どうしてそれがよくないことなのか」を、外の大人である私たちが丁寧に説明して、納得してもらうことが大事だと考えています。中には時間がかかる子もいますが、学年が上がるにつれ、子どもたちは当たり前のこととして受け入れていきます。
以前、小6受験コースのあるクラスで、ちょっとしたもめごとが発生したことがありました。関わった二人を廊下へ呼び出し、それぞれに事情を聞きました。しかし二人とも、もめたことへの反省よりも、言い訳が先に出てしまいます。「A君が僕の悪口を言ってきたから言い返した」「初めに言ったのはB君だから、僕は言い返しただけ」など…。彼らは授業中にもめて、周囲に迷惑をかけたから呼び出されているわけです。だからこそ「ごめんなさい」や「すみませんでした」の一言があって当然なのですが、いつまでもそれが出てきません。「自分は悪くない。あいつが悪いんだ。」自分がクラスメートにしたことはすっかり棚に上げて、相手を非難するばかり。
「自分が今だれに迷惑をかけてここにいるか、考えてごらん」
実感として、彼らがそういうことに気づけるようになるまでは、彼らの成績は伸びません。入試問題を解くことは、作問者や筆者との「対話」だからです。
二人とは、こうしたやりとりを何度か重ねました。そしてクラスメートとともに、見事に志望校に合格しました。今は勉強に部活にと中学校生活を楽しんでいると、元気な顔で報告に来てくれました。
中学受験をすることは、子どもたちにとってはたいへんなことです。遊びたい気持ちを抑え込み、机に向かい、塾に通い、好き嫌いに関わらず、結果を出すための知識をまんべんなく習得しなければなりません。
受験を通じて、彼らの知識の量は確実に増えます。しかし、知識の習得以上に大切なことを置き去りにしてしまっては、本末転倒でしょう。目の前のやるべきことと大きな目標とに真剣に向き合い、子どもなりに真剣に生きる2年間です。だからこそ、「人の気持ちを思いやる心」や「自分を省みて反省する心」など、これから生きていく上で不可欠なことを、受験の中で学び取ってほしいのです。学力と人間的な魅力、双方を身につけてこそ「メシが食える大人」になれると思いますし、受験はそこにつづくものであってほしいと願ってやみません。
松浦 満