『哲学のたね』2016年12月
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「3.じかんがきたら、おしまいです。」
なにごとも おわりはあります。
いったんひとくぎり、あたまと心がきりかえられる人は
たくさんのものを うみだす人です。
(ただしおうちでつくるときは、とことん心ゆくまでやりきってね)
―ARTのとびら きはん より
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今の自分が持っている、ぎりぎりの力を出し切って超えられる(かもしれない)、という目標設定が、もっとも人を成長させます。
よき教育者はその見立ての大切さを知っていますし、アスリートは身体感覚として身につけているでしょう。
ルールや枠組みのある中での自由、と同じように、制限がある中でこそ、いかに完成度を高めたものを密度濃く仕上げていくのか、その覚悟の上にある編集力、とでもいうべき力が問われてきます。
その対極をなすのが「明日でもいい」「残業すればいい」「期限に遅れてもいい」…的思考です。社会人として働く現場では、このような意識の人とは、信頼してともに仕事をしたいとは思えません。
終わりの時間も気にせず夢中になって創作する子どもたちにも、耳元でこのことばをささやくと、まるで魔法のように「そうだった」と頭と心のスイッチを切り替えることができるようになってきました。終わりはあるとわかっているからこそ、時間を無駄にせずにやりぬきたいという自覚も芽生えます。
締切という期限つきの中で、ベストを尽くして、誰かの笑顔のために意味のある仕事ができる。子育ても含めて、今は今しかなくて、そもそも人生は有限なのです。
自分自身の成長を発見して生きていくのは、人間として根源的な喜びです。そこにフォーカスして毎日を過ごしていけたら、それだけで幸福度は高まるでしょう。他人との比較ではなく、自分の成長は毎日喜べますから。
ちなみに私の児童期、母はダイエットとマラソン、父は趣味のアマチュア無線に燃えており、話題はいつもいかに自分の記録が伸びたか、ということでした。限りある時間を使って自分を楽しませることのできる大人の後ろ姿から、人生とは、自分の好きなことをとことん楽しまなくっちゃ、という意志のようなものを、きっと私は知らぬうちに学んでいたように思います。
働く母からの共感を呼んだこのことば。きっと最もマルチタスクが要求される人生のステージにいるからこそ、その重要性を身に染みて感じているのでしょう。
「ARTのとびら きはん」が、子どもたちの哲学のタネとなり、そのこころに根付き育っていきますように。
RELLO 由実(Rin)