花まる教室長コラム 『親から子へ、子から親へ。それぞれの想い』

『親から子へ、子から親へ。それぞれの想い』2017年2月

中学校へ入学して間もない頃、父が病気で他界しました。母は自営業だった父の仕事を引き継ぎ、家に帰れば家事や子育てに奔走する日々。悲しみや苦しみもあったと思いますが、そんな表情は一切見せず、家業と家族を守るために「私が頑張るしかないんだ」と孤軍奮闘する母の姿が今でも目に焼き付いています。父を亡くしたものの私も妹も平穏な日々を送ることができたのは、間違いなく母のおかげでした。
 そんな母の姿を見て、私が一つだけ強く心に決めたことがありました。自分のことで、母を不安にさせたり困らせたりしないようにする。自分のやりたいこと、言いたいことが思い浮かんでも、「今、これをしてもいいかな、言っても大丈夫かな。」と立ち止まって考えるようにしよう。私の行動の判断基準は常に「母に負担がかからないかどうか」でした。
 中学生以降ずっとそのような状態でしたが、どうしても母に言いたいことがありました。「何でお母さんは一人だけで頑張ろうとするの?俺の考えも聞いてよ、失敗したっていいじゃん。みんなで頑張ればいいじゃん。」生意気にもそんなことを思っていました。もちろん、母がそうであるのは自分たちのためだということは理解していましたし、鬼気迫るものを感じたのでそれを言うのは憚られました。一人で闘う母の背中を見つめ、「どうなったとしてもお母さんのせいにはしないのに。」と思いつつ、「母の想いに応えなくては」とも思っていました。

妹はというと、そんな母の想いがプレッシャーになっていたようでした。私が困らないようにと一生懸命になってくれるが、その頑張りに応えられない私。母だけがどんどん先へ進み、置いていかれているような気が。そばにいるはずなのに、心の距離が遠い。段々そう感じるようになっていたようです。
 一方、母は自分の頑張りに応えないわが子に対し苛立ちを覚え、一層厳しくなりました。「~しなさい」と「~してはだめ」の嵐。そうして妹は次第に「自分の考えは意味がない、お母さんは自分を一人の人間として見てくれていない」と思うようになりました。それが積もった結果、無気力になり不登校気味に。そして遂には部屋に引きこもることが多くなりました。
 このとき妹は高校3年生、私は実家を離れ寮で大学生活を送っていました。帰省したり電話をしたりする度に、中学生のときは言えなかった思いを口にしました。「もうお母さんがそんなに頑張らなくてもいいんじゃない?本人の好きなようにやらせてみれば。」しかし、「そうだね」と言いつつもまったく耳に入っていないようでした。状況が変わらないまま一年が過ぎようとしていた頃、転機は意外なところから突然訪れました。同居していた祖母の介護が必要な状態になったのです。その当時、家には母・妹・祖母の3人。仕事に家事に介護にと追われるようになり、それまですべてを一人で抱え込んでいた母が「私一人ではもう無理。」と初めて妹に助けを求めました。母は、このときのことを「弱音を吐かず子どものために一人ですべてを背負う親、いいお母さんであることを辞めた」と表現し、妹は「頼られたことで、やっと一人の人間として認めてくれたと思えた。それまでは除け者にされているような気がしていた」と後に言っていました。妹は自然と部屋から出てきて、積極的に介護を手伝い、家事も手伝い、学校にも行くようになりました。

妹が学校に行くようになった背景にそんな裏事情があったと知ったのは一昨年の冬。久しぶりに親子三人で集まったときでした。父が他界したあと、母はどんな想いで子育てをしていたのか。そして、今はどう思っているのか。その心の内を、今ならきっと素直に打ち明けてくれるだろうと思い聞いてみました。
「お父さんが亡くなったあと、何があっても『父親がいなかったから』ということを言い訳にする子育てはしたくないという思いだけで突っ走ってきた。子どもと向き合うより私の背中を見てついてこい!という気持ちかな。長男は家を継ぐ者として、長女は幸せな結婚をし、お嫁に行っても実家に協力してくれる子として。でも、初めて自分の子どもに弱音を吐いたあと、とても頼もしく感じた。大人として見ることができた。子どものためと言って親が無理をしている姿を見せても子どもは幸せにならない。今は、とにかく健康第一に。自分の生きたいように生きてほしい。」

自分だけの時間を持つことなくずっと私たち兄妹のためにすべてを捧げてきた母。もう自分の時間を楽しく過ごしてほしいと思うのですが、未だに、私は「ちゃんと野菜を食べているの?」と、妹は「あんた何そのスカート、短すぎじゃない?」と言われています。
 そんな母から、「最近○○のお母さんとランチした」ということや、「今日、ここに行ってきた!」という言葉とともにどこかの風景写真がLINEで送られてくることがあります。それを見ると、どこかほっとしたような嬉しい気持ちになるのです。そうした時間や楽しみを持てているのだなぁ、と。これからは、母にこそ、健康第一に、生きたいように生きてほしい、そう願うばかりです。

榊原 悠司