松島コラム 『問題児の意地』

『問題児の意地』 2017年2月

昔在職していた塾の仲間であり、私の初めての部下だった男性と久しぶりに会う機会がありました。同じ釜の飯を食った間柄。どんなに時間が経っても、会えば思い出話に花が咲きます。
 目に浮かぶのは問題児扱いされていた生徒ばかりです。
 その中でもとりわけ印象深いDくんは、私が初めて校舎長になったときの開校初年度に5年生から入塾してきた生徒でした。いわゆる多動性のある子で落ち着きがなく、授業中も一人ぶつぶつと独り言を言っているのです。それを周りがからかい、それに彼が反応して甲高い声と早口で言い返す。それが面白くて、またちょっかいを出す。こういうことが繰り返されていました。
 Dくんは、塾の中だけではなく、彼の通っている小学校、その周辺の地域でもちょっと変な子として知られていました。低学年のころは他の塾で入塾を断られたり、通い始めても友達とのトラブルでやめさせられたり、そういう中で最後にたどり着いたのが私の塾だったのです。
 Dくんは、ムラはあるものの成績はかなりよいほうでした。しかし、成績で人をバカにする発言をするので、同級生からは敬遠されていました。休み時間になると職員室で私が話の相手をします。

「先生、A中とB中の学校の偏差値はどっちが高いですか。」
 いつも偏差値の話ばかりしてきます。それも何日かごとに同じ質問をしてくるのです。
 「そんなに変わらないと思うよ。受験案内が本棚にあるから調べてみたら。」
 そして偏差値表を見ながら、
 「ぼく、偏差値が高いB中のほうがいいな。」
  別な日には、
 「先生、B中って、変な子いませんか。」
 と唐突に聞いてきます。
 「それは入ってみないとわからないなあ。」と答えながら、内心では「君が一番心配だよ。」と。

そんな会話をしていた覚えがあります。
 それから2年間、周りとのいざこざは絶えませんでしたが、何とか最後まで塾を続け、いよいよ受験本番を迎えました。
2月1日はA中、2月3日はB中の入試です。どちらか合格したほうに進学する。両方受かった時はその時に考えるということで本番に臨みました。合格の可能性はどちらも五分五分。私としては、悪くても2月2日のC中(第三志望)は押さえてほしいという思いでした。
 初日の受験を無事に終え発表は翌日。ところがDくんはその夜から高熱を出してしまい、2日は保健室受験。それを朝聞いた時はA中の発表までの時間が本当に長く感じられました。しかし、お母さんからのA中の合格の知らせでホッとひと安心。体調も悪いままだし、もうB中は受験しないのかと思っていたら、本人は「受ける。」と言っているとのこと。そしてなんとB中にも合格し、終わってみれば全勝だったのです。ところが結局進学先として決めたのはA中でした。偏差値にあれほどこだわりを見せていたDくんでしたが、「最初に合格をくれたA中に行く。」と言ったそうです。なぜ、「最初」なのか。A中に行くのなら、なぜB中を受けたのか。
 お母さんは少し涙ぐみながら、こう教えてくれました。
 「小さいころからどこに行っても受け入れてもらえなかった悔しさがあったのだと思います。A中の合格がよほどうれしかったみたいです。そして、B中を受けたのは、「自分で選んで決めたい。」という意地のようなものだと思います。」
 彼は、中学受験を通じて、自分の未来を自分の力で開きたかったのかもしれません。
 数年後、Dくんが一度だけ塾に遊びに来てくれたことがあります。その時は声変わりもしてキリッとした好青年になっていました。相変わらず早口で理屈っぽいところは変わりませんでしたが、「馬が合ういい仲間に出会えて学校は楽しいですよ。」
 この言葉を聞いた時、「本当にこの子にとっては意味のある中学受験だったな。」と改めて感じたのでした。
 いよいよ入試本番です。FC・道場生の大活躍を期待しています。
 保護者の皆様。一番大変な時期ですが、最後までわが子の合格を信じて、元気に前向きに、応援、よろしくお願いいたします。
 皆様にとって、意味にある幸せな受験になりますように。