松島コラム 『別れと出会い』

『別れと出会い』 2017年4月

私は子育て講演会などで、「今は毎日わが子と顔を合わせています。しかし、社会人になって家を出てしまえば、子どもが還暦になるまでに1年に1泊2日で3度帰ってくる計算でも、228日くらいしか会うことはできません。わが子と過ごす時間は長いようで実は短いものなのです」という話をしています。しかし、子どもが還暦を迎えるまで親が長生きしてくれるとは限らない。先日父を亡くしてそう気づきました。
 通夜の日、式場に泊まり父と過ごしました。父の顔を見ながら思い出すのは、小学生のころ、たまの休みに釣りやキャッチボールをして遊んでくれたことです。父よりもたくさん釣ってやろう。もっと速い球を投げてやろう。何でも親を超えたかったのに何一つ超えることはできませんでした。それは今に至っても同じです。
 しつけには厳格な人でした。特に感謝の気持ちを忘れないこと、礼儀を重んじることを成人した後も口うるさく言われました。互いの信念や哲学を語り合うことはありませんでしたが、父が「なにを大切に生きていたのか」、改めて振り返ると、その答えを自分の中に見つけることができます。親子とはそういうものなのかもしれません。
 晩年の父は孫をこよなく愛し、人の心配ばかりする、寂しがり屋な人でした。
 父との別れの色紙の中に、実家の隣に住む義姉のメッセージがありました。
 「お父さんのおかげで、子どもたちはやさしい子に育ちました。ありがとうございました」
 子や孫にも大切なことはちゃんと受け継がれているよ。生前にそう伝えてあげていたら、どんなに喜んだことか。それが少し心残りでした。
 明け方は吹雪になりました。しかし、式が始まる頃には澄み切った青空が広がり、多くの参列者に見送られて、父は旅立っていきました。
 懐かしい友人や知人、親戚との出会いがありました。
 法要をお願いした僧侶は、中学の部活の一つ下の後輩でした。私自身がそれに気づいておらず、お清めの膳でお酌をしようとしたところ、「先輩にそんなことはさせられませんよ」と言われ、記憶がよみがえりました。父がつないでくれた40年ぶりの再会。昔話に花が咲きました。
 「当時何か無茶なことを言いませんでしたか?」と私が尋ねると、
 「体育館100周ダッシュ!はきつかったですね」と。
 「ああ、やった、やった!いや、させた、させた!」と、何日かぶりに大声で笑っていました。
 ゆったりと流れる時間の中で感じる心地よい空気。何年経っても生まれ育った場所は、昔と変わらず私をやさしく受け入れてくれたのです。震災でかけがえのない家族を奪われ、愛する故郷をなくした人に比べたら、なんて幸せなことなのか。普段当たり前だと思っていることは決して当たり前ではない。それはとても幸運なことなのだと感じる一日になりました。
 3月から4月は別れと出会いの季節です。
 学校や塾でも親しい先生、仲の良い友達との別れがあります。過ごした時間の分だけ思い出も尽きませんし、寂しい気持ちもあるでしょう。
 しかし、「出会いは別れの始まり。別れは出会いの始まり」と言います。
 父にいちばん可愛がってもらっていた姪が、「おじいちゃん、また会おうね」と色紙に書いていました。私もまたいつか会える日を楽しみに、自分自身の人生を全うしていきたいと思います。
 新しい一年が皆様にとって実り多きものになりますよう、またよき出会いに恵まれますよう心より願っております。