Rinコラム 『大切にしているもの』

『大切にしているもの』2017年5月

縁あって0~2歳児の親子たちと接する機会がありました。どっぷりと彼らの生きている世界に入り込んでみて気がついたこと。それは、彼らはノンバーバルの世界に生きているが、感情も意思もある、一個の人間である、ということでした。至極当たり前のことなのですが、我々大人がそのことを忘れたときに、いろいろな問題が起こるのだということに、改めていきついたのです。
 「何やってるの?早く行くよ」「それはそうやって遊ぶおもちゃじゃないよ」「ダメ、それは触らないで」…。もしかしたら、対等に承認されるということが、彼らにとっては珍しいことなのかもしれない、と。
 言葉を話さない時代の幼児と、私がしたこと。それは、よく「観察」し、「感じたことを言葉にする」ということでした。泣いている子に、「びっくりしたね」「取られたと思ったんだね」、「靴を履きたかったんだね」「こっちも開けたいんだね」「それがほしかったんだね」ひっくり返ってしまったおもちゃを前にフリーズする子に、「おもしろいことになったね」「見せてくれようとしたんだね」「見つかってよかったね」…。
 一個の人間として対等にあろうとすること。それは創作や学習を通して子どもたちと関わるときに、私が大切にしていることそのものです。
 「言葉を使わない会話」とは、「表現された何か」と同じです。いつでも目の前には「即興アート」が繰り広げられている時代。ことばを使う私たちと、ことばを使わない表現者である彼らをつなぐもの。
 よく観察をすることができるということは、相手を知ろう、わかろうとすることと同義です。それは目の前にいる人を、見なりや肩書で判断するのではなく、その本質を見抜こうとする姿勢であり、そのことこそが、人として最も豊かな生き方に通じるはずなのです。
 「あなたはどうしたいの?」「どう考えて、何を感じているの?」ということをちゃんと知りたいし、尊重したい。コミュニケーションに大切なのは、実はそのことだけなのかもしれません。
 
井岡 由実(Rin)