松島コラム 『カンボジアを訪れて』

『カンボジアを訪れて』 2017年10月

来年10月カンボジアに「花まるインターナショナルスクール」が開校します。そのため、先日現地を訪れました。
 私が中学生だったころ、この国でどんなことが起きていたのか。その歴史を目の当たりにしました。プノンペンにあるトゥールスレン博物館(当時処刑を行っていた刑務所)は衝撃的で、たいていのことでは動揺しない私も、見学後しばらくは言葉が出てきませんでした。ここから何を学ぶべきなのか。あまりにも不条理で凄惨(せいさん)な出来事に、無責任に語ることはできません。ただ一つ言えることは、ポル・ポトの歴史は終わっていないということ。それは特に教育問題に象徴されます。
 現在のカンボジアは34歳以下の人口が全体の約70%を占めます。働き盛りの年齢層が少ないのは、ポル・ポト統治下の4年間で数百万人と言われる同胞の命が奪われたからです。教育が否定され、知識人は掃蕩(そうとう)されました。そのため現在も教師の数が足りません。
 この国では、小学校には通い出したものの、家業の手伝いや通学の距離の問題で途中から通えなくなってしまう子もいます。小・中学校は義務教育ですが、中学校まで通う子の率は都市部と農村部ではかなりの差があります。経済的に苦しい家庭では、教育に対する親の理解も希薄なため、学ぶことよりも日々の生活が優先されるのです。
 首都プノンペンでは外資による高層ビルの建設ラッシュで、その最上階のスカイラウンジは平日から富裕層でにぎわっています。しかし、地上では夜中の12時過ぎまで幼い子が売り子として飲み屋街を回っています。経済成長率も高水準。都市部を中心とした発展は今後もしばらく続くでしょう。しかし国全体の教育の水準を上げない限り、本当の意味での経済的自立、継続的な発展はありません。カンボジアの未来は、間違いなく子どもたちの教育にかかっているのです。
 当時のカンボジアは鎖国していたとはいえ、今までこの国についてほとんど知らなかったことが恥ずかしくなり、帰国後はこの国に関する書物や資料を読みあさりました。語り継ぐことが難しい歴史を抱えたまま今を生きる中高年。外国から入ってくる教育や技術をどん欲に学ぼうとする若者たち。同じ生活圏の中でみられる貧富の差。知れば知るほど複雑な国、カンボジア。ただ、みんな笑顔で明るく前向きに生きています。親日派も多く、温厚でやさしい人たちです。治安も悪くありません。それでも、歴史を振り返ったとき、日本に生まれて、こうして生きていることが何よりも幸せなことだと改めて感じてしまいます。
 プノンペンから車で2時間半のところに、キリロム国立公園があります。プノンペンは車やバイクの排気ガスで空気が悪い都市ですが、キリロムは緑豊かな高原のリゾート地です。ここでは「世界で最も住みたいネイチャーシティをつくる」という壮大はプロジェクトが日系企業によって進められています。リゾートホテル、キャンプ場、ゴルフ場(準備中)など様々な施設が整い、住宅地としての販売も始まっています。敷地内にあるキリロム工科大学では20倍の難関を通り抜けた優秀な学生が学んでいます。インターンシップの日本人学生も積極的に受け入れています。この国立公園内に、花まるは「生活するように学び、自然の中で生きる。一人ひとりが自分の課題に没頭することにこそ価値を見出す」そんな新時代の学校をつくります。機会があれば、ぜひ一度、観光を兼ねて見学にお越しください。