高濱コラム 2005年 2月号

年初から、「変革のとき」を実感しました。一つは、東京大学教育学部の教育研究創発機構(苅谷剛彦機構長)主催の公開研究会で、「塾から見える学校」という演題で基調講演をしたことです。会始まって以来の満員という状況に、学習塾が公教育に貢献する時代間近を感じました。力の無い先生には転職してもらうという人事制度改革こそが改革の核心であり、それだけでも「教え方が分かりやすいのは、塾65%、学校11.5%(藤澤市調査)」という問題は概ね解決するのではないかと述べる一方、学習法指導・個別対応・動機付けの研修・父母教育など、学校が取り組むべきいくつかの課題で塾がお手伝いできそうな項目を提案してきました。

数日後、今度は足立区小学校教頭会主催の会合に招かれ、教頭先生方を前に同じ趣旨の講演をしました。居眠りする人もいましたが、熱心にメモをとって聞く方も大勢いて、講演後の質疑では、「ぜひ、民間校長としてうちに赴任してほしい」と熱烈に言ってくださる女性の先生もいて、勇気づけられました。また、さらに数日後のさいたま市の小学校で、「母親だからできること」という講演をしたときも、校長先生から「これは学校の先生たちにこそ、ぜひ聞かせたい内容だなあ」と熱い感想をいただきました。

これらは、数年前には全く考えられなかった動きです。硬い壁がガラガラとくずれ落ちる音が聞こえるようです。うぬぼれず、足元の毎日の授業の質を高めること、保護者の皆様の声をしっかり受け止め改善に努めることなど、日々の精進に集中する中で、果たすべき社会的役割が増えていけば幸せだなと思います。

さて、仮に制度が変わり公教育が地盤沈下から回復してきても、大きな問題は解決していません。それは家庭と地域です。長期の引きこもりが100万人、ニートが50万人と言われます。親戚知人をたどれば必ず一人はそういう人を知っている時代に、すでになってしまいました。その親が亡くなり兄弟も亡くなったりしたら、甥っ子姪っ子が面倒をみるのでしょうか。甘くない未来が想像できますが、少なくとも私たちは、次代の子どもたちを、たくましく生命力にあふれた人材として育て上げねばなりません。その点で、とても象徴的なエピソードを聞いたので紹介します。雪の大晦日のできごとです。

荻窪の駅でタクシーに乗ろうとしたら、突然の大雪で1時間以上も待たなければならないような列だったが、仕方なく並んでいた。前には、父・母・1年生くらいの男の子の3人家族がいたのだが、母親が携帯で電話していた。どうやら実家のお母さんに「迎えに来て」と頼んでいる様子。年寄りに雪道の運転はつらいと断られるのを、何とかと頼む。嫌がられる。頼む。その繰り返しの挙句に、その母親が、「だって、○○ちゃんが『寒い寒い』って、可愛そうなのよ」と言ったというのです。これは、鹿児島出身の40代の友人が見た光景ですが、彼はこう感じたそうです。自分たちが子どもの時代は「寒い」と言ったら怒られた。「子どもは風の子だ。外を走って来い。走れば暖かくなる」と言われた。時代は随分変わったんだなあ、と。確かに、私が育った熊本でも、そうでした。

ちょっとくらいの寒さを、「おお寒かろう」と守ってしまうことは、今の親子関係を心地よいものにしつつ、「将来、引きこもれ、引きこもれ」と育てていることのように感じます。「何くそ!」と歯を食いしばるやせがまんの心は、色々な「耐える力」の原点でしょう。

どう思われますか。そして、お父さんお母さんご自身の育ちはどうでしたか。

花まる学習会代表 高濱正伸