数日後、今度は足立区小学校教頭会主催の会合に招かれ、教頭先生方を前に同じ趣旨の講演をしました。居眠りする人もいましたが、熱心にメモをとって聞く方も大勢いて、講演後の質疑では、「ぜひ、民間校長としてうちに赴任してほしい」と熱烈に言ってくださる女性の先生もいて、勇気づけられました。また、さらに数日後のさいたま市の小学校で、「母親だからできること」という講演をしたときも、校長先生から「これは学校の先生たちにこそ、ぜひ聞かせたい内容だなあ」と熱い感想をいただきました。
これらは、数年前には全く考えられなかった動きです。硬い壁がガラガラとくずれ落ちる音が聞こえるようです。うぬぼれず、足元の毎日の授業の質を高めること、保護者の皆様の声をしっかり受け止め改善に努めることなど、日々の精進に集中する中で、果たすべき社会的役割が増えていけば幸せだなと思います。
さて、仮に制度が変わり公教育が地盤沈下から回復してきても、大きな問題は解決していません。それは家庭と地域です。長期の引きこもりが100万人、ニートが50万人と言われます。親戚知人をたどれば必ず一人はそういう人を知っている時代に、すでになってしまいました。その親が亡くなり兄弟も亡くなったりしたら、甥っ子姪っ子が面倒をみるのでしょうか。甘くない未来が想像できますが、少なくとも私たちは、次代の子どもたちを、たくましく生命力にあふれた人材として育て上げねばなりません。その点で、とても象徴的なエピソードを聞いたので紹介します。雪の大晦日のできごとです。
荻窪の駅でタクシーに乗ろうとしたら、突然の大雪で1時間以上も待たなければならないような列だったが、仕方なく並んでいた。前には、父・母・1年生くらいの男の子の3人家族がいたのだが、母親が携帯で電話していた。どうやら実家のお母さんに「迎えに来て」と頼んでいる様子。年寄りに雪道の運転はつらいと断られるのを、何とかと頼む。嫌がられる。頼む。その繰り返しの挙句に、その母親が、「だって、○○ちゃんが『寒い寒い』って、可愛そうなのよ」と言ったというのです。これは、鹿児島出身の40代の友人が見た光景ですが、彼はこう感じたそうです。自分たちが子どもの時代は「寒い」と言ったら怒られた。「子どもは風の子だ。外を走って来い。走れば暖かくなる」と言われた。時代は随分変わったんだなあ、と。確かに、私が育った熊本でも、そうでした。
ちょっとくらいの寒さを、「おお寒かろう」と守ってしまうことは、今の親子関係を心地よいものにしつつ、「将来、引きこもれ、引きこもれ」と育てていることのように感じます。「何くそ!」と歯を食いしばるやせがまんの心は、色々な「耐える力」の原点でしょう。
どう思われますか。そして、お父さんお母さんご自身の育ちはどうでしたか。