『トイレの貼り紙』2015年1月
中学受験に向けて、地元の小さな小さな個人塾に通っていました。雀荘を改修した、駅の目の前。電車が通ると2階建て全体が揺れます。机は長細い座卓。正座しろとは言われませんでしたがまるで寺子屋。月謝は現金払いでした。
5年生の頭まで、ただひたすら外で遊んでいた私にとって、勉強の世界へ飛び込んだタイミングがよかったのでしょう。結果が如実に出る世界でも、学校と同じ位いやそれ以上に、面白かった。鍛錬を好む時期だったのです。
今でもはっきり覚えています。6年の夏ごろだったでしょうか。国語の問題を解いて、満足のいく記述が書け、しかもそれを皆の前で先生に認められました。その日は書きながら考えたことも含めて図星で評価され、悦に入っていました。夕食の時間になり、そのままのいい気分でトイレに入りました。無論和式。頭上にあるタンクからぶら下がっている鎖を引っ張らないと水が流れません。その鎖に手を伸ばしたとき、ある貼り紙に気付きました。
「次の人のために使いやすくしたか。勉強よりも大切なことを忘れるナ」
一番厳しい、けれど心の奥では一番慕っていた、M先生の文字。瞬間、恥ずかしさがこみ上げました。その貼り紙はきっと、前からあったものだったはず。けれども私に届いたのはまさに、この時だったのです。「勉強ができるだけじゃ、ダメなんだ」「なんて小さい自分なんだ」それからは、この場に通えていること自体に感謝するようになりました。毎月母から手渡される月謝袋。申し訳なさと、じゃあ自分はどうすればいいだろうという思いとの葛藤。けれどもやっぱり、新しい世界へ踏み込んでいくのは、時に辛くても面白かった。その姿を母は、見ていてくれたのでしょう。
母から、「勉強しなさい」と言われた記憶が、私には一度もありません。「~が苦手だね」「できないね」「やりなさい」そういう言葉を浴びた記憶がないのです。受験生として毎週、毎月模試を受けるような時期になっても。
その証拠に「いやだなあ、なんで点数取れないんだろう」と思った科目はあったけれど、それは全て自分で感じて、思ったことでした。だから、高学年になったら自分でなんとかしようと思えたし、がむしゃらにやってみた。結果として全てがうまく行ったわけではもちろんなく、とことんやって「あー、こりゃだめだ」とすっきり思うことも沢山あった。けれど、あらかじめ否定されたことがなかったことで「何もしないであきらめる」ことはなかった。それはひとえに、一番身近な母に否定されたことがなかったという事実そのおかげです。たとえ謙遜という形であっても、人の前でもわが子をけなすということのない母でした。…が、ただ一度だけ。
もう大学3年になり、家族でカヌー体験に行ったときのこと。
当時私は留学から帰って来たばかりで、就職活動をすべきかどうか、迷っていました。カヌー体験の休憩時間、スタッフの方から「いいですね~ご家族そろって。娘さんは、大学生ですか」と話しかけられた時のこと。「いえいえーまあ、就活するんだかしないんだかって感じで」と返した母。それまでひたすら楽しかった中、ピンと心が張ったあの瞬間は、忘れられません。すでに大学生でしたから大きく落ち込むようなことはありませんでしたが、「そういう風に心配されちゃってるんだな」と初めて悲しく感じたことを強く覚えています。二十代になってすら、周りの人、とりわけ母親からの言葉へのアンテナは敏感なのです。
「ぼく一度、テストで失敗してるから」
これは先日、ある子から聞いた言葉です。会話の一部として、本当にさりげなく、言いました。でも私の心は、ずんと衝撃を受けました。「失敗してるから」こんな言葉を9歳が、いとも簡単に使ってしまうのか。彼の表情を見つつ聞けば、ある外部模試を受けてのことだそう。
人からの言葉は思いがけず残る。心に刻まれる。けれど、生きていくのはだれでもない、自分のはずです。
だからこそ、誰かに言われてできてしまう苦手意識は、いらない壁。そして社会に出る前の子ども達に、それをつくってしまう可能性があるのは紛れもない、彼らの周りにいる、私たち大人からの、何気ない言葉です。彼らの10年後のために、「苦手」だなんて思わせない。そんな言葉は聞き逃さない。そして、私が過去もらってきたような、M先生のような、一番大事なことを感じ取れるような言葉を渡していく。そう心に留め置いて、授業をしています。
竹谷 和