『お母さんに感謝して』2014年10月
「悔いのない人生を送ってください。」
急にメールが届いた。用事がなければ滅多に連絡をとることがなくなっていた母から。すっかり忘れていた私の誕生日に、「おめでとう」のタイトルで。
「ご飯はちゃんと食べているの?寒くなったけど、体は壊していない?」
必ず添えられる心配の言葉。少し照れと恥ずかしさを感じながら、いくつになってもお母さんから見れば、子どもは子どものままだなぁと素直に嬉しさがこみ上げた。久しぶりに母親の愛情に触れた感覚に浸りつつ、授業前だったために、いつもと変わらない素っ気ない返信をした。
数日後、「たまたま近くに来ているからランチを一緒にどうか」と珍しいというか初めての誘いのメールが届いた。先日のそれといい、何かあったのかと慌てて出ていくと、事務所の目の前に母の姿が。もう来ているならば、そう言ってくれればいいのに、と思いながら肩を並べて歩き始めた。
「何、食べる?」と聞くと、「あまり調子が良くないから私は大丈夫。」という返事。いよいよ心配になるものの「どうした?大丈夫?」とマニュアル通りの返ししかできない。少しでも食べられるならば、とオーガニックレストランを選び、OLの方しかいない空間に身を小さくして座る。
「母とご飯」というキーワードで、ふとある出来事を思い出した。当時、私は高校生。毎朝、弁当を持たせてくれていた母と前日に大喧嘩をした。反抗期真っ只中だったことは言うまでもなく、やんちゃなことをして見つかったことが原因だった。険悪な雰囲気を引きずりながら、翌朝食卓に座ると当然のように朝食が用意され、弁当が置かれている。絶対に「ありがとう」と言えない年頃。黙って家を出た。自転車で学校に向かう途中、何と言って帰ろうか、弁当箱をどう渡すか、考えれば考えるほど気まずさが募る。
そんな思いも昼休みには薄れ、友人と弁当を食べようとした、その瞬間だった。全員の目が弁当箱の透明な蓋に向けられた。手紙が入っていた。そこには一言。「どうだ!!」の文字。その下の弁当箱には、白い米がびっしりと詰められていた。生米が。
「敵わないなぁ…」
正直な感想だった。互いの空気を予測していたのか、この母の奇を衒う対応1つで私の反抗期は終息に向かった。一枚も二枚も上手なこの母には、何をしても敵わない。
そんな母も50歳を過ぎ、改めて「小さくなった」と実感。
「あんたが、デカいんだよ!」
と笑いながらつっこんでくる母の姿を見送った。メールから受けた嫌な感じは、結局のところ何でもなかったことが分かり、一安心して事務所に戻った。
子どもたちにとって、いくつになっても母は絶対的な存在。子どもたちはいつか気づきます。母の存在の大きさに。今は、やんちゃだったり、ゲームばかりだったり、反抗的だったりする子どもたちも次第に大人になります。母の存在に安心し、温かい手料理に感謝し、懐の深さに感動する時が来るのです。お預かりしている子どもたちのお母さんでいてくれることに私たちも感謝しています。健やかに成長する子どもたちのために、いつもありがとうございます。
「寒くなってきたので、これからも体に気を付けて。おさがりで申し訳ないが、使ってください。」
後日、パソコンに短い手紙を挟み、実家を後にしました。
中山 翔太