『あきらめない』 2014年2月
中学入試がスタートした。この号が出るころには高校受験も始まっているだろう。塾講師を始めて25年、いろいろなドラマがあった。順当に合格を手にした子もいれば、苦労して合格をもぎ取った子もいる。印象深く残っているのは後者のほうが多い。ほんのわずかな差で結果は分かれる。それが受験だ。だからこそ大切なのは、「最後まであきらめない。」という気持ちなのだ。
安全校と思っていた学校で足元をすくわれることがある。80%偏差値は5人のうち4人が合格しているというデータだが、残りの20%が現実に存在する。もちろん志望校を決めるときにはそういうことは考えない。大切な受験を目の前にして「縁起でもないことを・・・。」とお叱りを受けてしまうかもしれないが、万が一のときに備えて覚悟をもってわが子を支えてあげるのが親の役割だと思う。そしてその時こそ塾を一番の頼りにしていただければ幸いである。
私がまだ駆け出しの教室長だったころ、小4のときに入塾してきたK君は、マルコメみそのコマーシャルに出てくるような、いが栗頭の笑顔のかわいい少年だった。彼は小さいころから剣道をやっていて塾のない日は近くの道場で稽古に励んでいた。彼には3歳年上の兄がいた。兄は3年前に他塾で中学受験をしたが、強気の志望校で失敗し、公立の中学へ進んでいた。
K君の受験も前途多難だった。最初の押さえの入試で、過去に出たことがない説明文が出題され頭が真っ白になり、半分近くが終わらなかった。そのショックを引きずって、算数でも難しい問題にひっかかって易しい問題に手をつけられず、結局は不合格になってしまった。出鼻をくじかれ自信を失い、次の入試でも実力を出し切れずに終わった。
意気消沈して塾にやってきたK君と二人っきりで話をした。
K:「もう受かる自信がない。本当は今日も塾には来たくなかった。」
私:「先生だってこんな状況なら来たくないよ。でもKは来てくれた。それはKがとても勇気がある人間だという証拠だよ。」
K:「・・・」
私:「3年間がんばってきたことに自信をもってほしいんだ。」
K:「でもすべり止めが落ちちゃったし。」
私:「剣道でも自分よりも弱い相手に不意をつかれて一本とられることがあるじゃないか。逆に強い相手に勝つことだってあるだろう。でも最初から気持ちで負けていたら、勝てるはずがないよね。」こんな会話だったと思う。
2月1日の朝、彼はいつも通りの笑顔でやってきた。今日まで第一志望としてあこがれてきた学校を目の前にして、ますますテンションが上がったようだった。「普段どおりやれば大丈夫。自信をもってやってこい。」と力強く握手をした。
その日の合格発表の帰り、K君が塾にやってきた。しかし彼の手に封筒はなかった。「ダメでした。」とお母さんが代わりに切り出した。「今までで一番よくできた。手ごたえはあった。」というのだ。持って帰ってきた問題を見ると例年よりもとても易しい。こういう場合は、合格最低点が上昇して下剋上がよく起きる。彼は一瞬悲しい表情を見せたが、「先生、明日もあるので、ここで勉強していってもいいですか。今日できなかった問題を教えてほしいんです。」彼はこの一週間で強くなっていた。そう、明日も同じ学校の2回目の入試があるのだ。
「よーし、やろう。」
お母さんに近くのコンビニで夕食を買ってきてもらい、そのまま教室で勉強を始めた。学校によっては1回目が易しいと2回目は難しくなる場合がある。解き直しをしたあとに過去問題の中から難しい問題を選んで解かせた。何度もやっているから難問でもスラスラと解ける。自信を取り戻させるためにやったのだが、これ以上の問題が出なければ十分戦える。目標に向かってひたむきに取り組んでいるK君の姿は感動的だった。「がんばれよ、K!」
2回目の入試も当日発表だった。その日、彼は塾に姿を見せなかった。電話に出たお母さんの話では、「問題は難しかったが最後までできた。今日は疲れてしまったので塾には寄らずに帰った。」という。「神か仏かわからないが、彼にどこまで試練を与える気なのか。」
「明日の第三志望まで受けてこれで終わりにしよう。」と家族で話をしているらしい。予定では万が一のためにと、あさって以降の併願校も決まっていた。しかしもうお母さんが心身ともに疲れきっていた。「兄と同じ思いはさせたくなかったのですが・・・。」と弱気になっていた。最初の入試から2週間、まだ一つも合格をもらっていない。家にいてもなんと声をかけていいのかわからない。そんな雰囲気だろう。しかし、ここで大切なことは切り替えることなのだ。つらい状況だからこそ、それを乗り越えて前に進もうとする勇気とあきらめない気持ちが活路を開く。そう信じること。千葉での失敗から立ち直れたのだから大丈夫だ。
「お母さん、入試は明日もあります。まだ終わってはいませんよ。最後までがんばらせましょう。」ただ思いだけを伝えた。相手を励ましながら自分を励ましていた。あさってのことはまた明日考えればいい。今は明日の入試に前向きに臨めるか、それだけだ。「すみません。こういうときに親がしっかりしないといけないんですよね。私が弱音なんか吐いてちゃダメですよね。」「そうですよ。」
翌朝、集合時間の2時間前から校門で待っていた。しかし、なかなかやってこない。「まさか、もう受けないのでは。」という不安がよぎった。続々と会場に入っていく受験生。きっといろいろな思いでこの日を迎えているのだろう。すると背後から、「松島先生!」という声が聞こえた。振り返るとそこにK君の笑顔があった。「最後だから思いっきりやってきます。」その言葉に涙が出そうになった。毛糸の帽子をとって坊主頭を抱きしめながら、「頭の柔軟体操だ。」と言ってグリグリとなで回した。お母さんも笑顔になっていた。
次の日、塾の電話が鳴った。「Kか。どうだった?」「合格しました!ありがとうございました。」淡々とした言葉だったが、これまでになく大人びていて頼もしかった。「やったなあ。おめでとう。よくやった。」「ありがとうございました。これでやっと終わりました。」お母さんは泣き声と鼻水でボロボロだったようだ。同じ日の夕方、K君からもう一本の電話があった。第一志望校から繰り上げ合格が来たのだ。最悪の日から一日で最高の日に変わった。電話を切ったあと、ガッツポーズをしながら、「やったー。」と大声で叫んでいた。これから授業だというのに今すぐにでも祝杯をあげに行きたい気分だった。当時はまだ経験不足だったからこの結果に大興奮をしたが、今であれば冷静に受け止めることができる。都内の入試から彼は平常心で受験に臨めていた。第一志望校の1回目も力が足りなかったとは言い切れないし、2回目は難度が上がっても最後までやり切れた。また、実力相応と言える第三志望校に正規で合格した。流れから考えて本命の繰り上げ合格がきてもおかしくはない。
しかし、何であれみんなが最後まであきらめなかった。その思いが通じたのだ。それ以降も何度も同じような瞬間に立ち会ってきた。だからそう断言できる。
私にとって「あきらめなければ負けない!」が受験生に送る言葉の一つとなった。
今年の受験生にも最後まであきらめずにがんばってほしい。