松島コラム 『幸せな受験』

『幸せな受験』 2014年4月

数日前に第一志望校に合格した生徒が、受験した学校の入試問題を解き直していた。自習室で黙々と机に向かうそのうしろ姿は、頼もしくてかっこよかった。
 フィギュアスケートの羽生選手が、金メダルをとった直後のインタビューで、「今一番したいことは?」の質問に、「早く練習をしたい。」と答えていた。金メダルをとっても満足のいく演技ができなかった。彼にとっては今回のオリンピックは通過点でしかなかった。
 受験も同じである。それがゴールではない。受験が終わったあとも、「塾に行って勉強したい。」と言ってくれるFC生は多い。合格の報告に来た6年生から、「何か宿題を出してくれませんか。」と懇願されたことがある。「2月は授業がなくて子どもが残念がっています。※」という親御さんからの声も少なくない。周りは、「受験が終わったのだから、少しのんびりしたら。」と考えるが、「勉強することが楽しい。」という経験をした子どもたちは、読書やスポーツを楽しむことと同じように勉強がしたいのである。
 ところが、とにかく結果を出すことだけが優先され、「大人主体」で受験学習が進むと、こういう子どもにはなりにくい。受験が終わった瞬間に、勉強の「べ」の字も見たくなくなる。結果志向による精神的なストレスに耐えられる子どもはまだよいが、勉強そのものから早く逃げ出したいという思いから、間違った方向に学習が進むことがある。たまたま結果が出てもその先が心配だ。
 FCが掲げる「幸せな受験」は、「勉強することが楽しい。」の先に、本当に幸せな志望校合格があり、幸せな人生があるという考え方である。今年の卒業生も受験を一つの通過点として、さらに伸び続けてほしいと思う。
 「楽しい」という思いは自分の力でやり遂げたときに極まる。しかし、その過程で必ず「できない。わからない。」という壁にぶつかる。ここに成長のチャンスがある。小学部で今年から導入している「自学タイム」は単なる自習の時間ではない。自分で勉強に本気で取り組む楽しさを知ってもらうための時間である。
 「自学タイム」に限らず、生徒の質問に答えるときに私が気をつけていることがある。それは、「自分の頭で考えようとしているか。」である。「先生、この問題がわかりません。」と聞いてきても、まずは、どこまでがわかっていて、どこからがわからないのか、を具体的に説明してもらう。「全部わかりません。」では、いくら丁寧に説明しても、わかったつもりで終わることが見えている。次も同じような問題を「わかりません。」と持ってくる。それでは意味がない。最初から人に頼るのではなく、まずは自分で考える癖をつけてもらう。その後は、必要に応じた声かけをしながら伴走者となって見守っていく。
 「問題に書いてある条件を全部使っているかな。」「(1)の問題はなぜあるのかな。」大人から見れば当たり前のことが、小学生にとっては当たり前でない。最短距離の解法を教え込むのではなく、問題へのアプローチの仕方と思考のプロセスを身につけてもらう。実際の受験で差が出るのはこの部分である。「自分で考えてごらん。」と突き放すこともある。社会に出てからも必要とされる「考える力」を伸ばしてあげたい。
 できるだけこちらが教えずにできたときは、「自分の力でできたね。すごいね。」と認めてあげる。たいていの子どもはうれしそうな顔をする。自信が生まれる。しかし、また次の壁にぶつかる。今度は前よりも簡単にはあきらめずにがんばって考えようとする。外からは見えない小さな成長だが、この積み上げが最後にものをいう。 
 個々の違いはあれ、自分の力で進められるようになるまで辛抱強く待ってあげる。
 今できなくても、いつかできると信じてその種をまき続けること。それが私たちの役割である。