松島コラム 『時を越えて』

『時を越えて』 2015年7月

三十数年ぶりに高校の同級生に会った。そういえば上京してから高校の仲間とはほとんどつながりがなかった。家業を継ぐとか、教員や公務員でなければ、大学を出ても地元には戻らない人が多い。若いときに都会に一旦出てしまうとそちらのほうが魅力的に見えるし、現実的に地方には仕事がない。今、地方創生への関心が高まる中で東京一極集中の問題がとりあげられるが、それは今に始まったことではない。
 その同級生のTとは、二年間同じクラスで、浪人中も地元の予備校で一緒だった。彼は町の子で、当時すでにバイクや車を持っており、雨の日にはよく予備校から最寄り駅まで送ってもらっていた。しかし特別に仲が良かったわけでもない。行動するグループは違っていた。私の高校は今や全国でも珍しい県立の男子校で、地方にありがちな浪人率の高いのんびり高校だった。女子がいないことで、良くも悪くもみんな自由気ままに学校生活を謳歌していた。授業が終われば、それぞれが、部活、アルバイト、予備校、課外活動?などに散っていく。反面、体育祭や文化祭などはクラス一丸となって本気でバカ騒ぎする。漠然とした記憶だが、みんなが互いを尊重し、いい距離感でつきあっていたと思う。
 たまたまSNSで見つけた母校の同窓会グループに参加すると、名前に見覚えのある同級生から次々に歓迎のコメントがついた。時間と場所を越えるとはこういうことだ。ITの進歩、おそるべしである。Tもその中にいた。偶然近くに住んでいることがわかり、「じゃあ、会おうか。」ということになった。待ち合わせ場所で待っている間、どこか落ち着かない。そもそも3年程度のつきあいでしかなかったから、彼の人となりを知っているようで知らないのだ。あのころのイメージとはまったく違う人間になっているかもしれない。
 しかし、約束の時刻に「おっ、久しぶり!」と片手をあげて現れた男性は、年齢相応に老けてはいたが、そのしぐさ、声、歩き方まで当時のTそのままだった。
 お互いの近況をひと通り話したあとは、他愛もない昔話で盛り上がった。話は尽きない。彼は大学を出て大手証券会社に就職した。しかしその会社が突然の自主廃業。現場の最前線にいた彼は筆舌に尽くしがたい修羅場を経験していた。しかし、当時を振り返る彼の語り口は穏やかで優しかった。今は成長中の上場企業で活躍している。バイクは原付からハーレーに変わっていた。かっこいい大人になっていた。
 彼の話を聞いているうちにだんだん記憶がよみがえってきた。表情や語り口だけでなく、物事への前向きさ、論理的な捉え方、ユーモアのセンス、他者への思いやりなども昔と変わっていなかった。自分でも気づかなかったが、私は彼のことをよく知っていたのだ。それがなんだかうれしかった。同時に、生きていくために必要な力の土台はこのころまでにつくられるのだ。だからこそ、その時期の教育が果たすべき役割は大きいのだと改めて感じた。
 だれにでも出会いと別れがある。Tと最後に別れた日がいつだったのか、まったく記憶にない。予備校の卒業式にも出ていないので、きっと、受験前の最後の授業の日だったのかもしれない。いつものように、「じゃあね。」の一言だったのかもしれない。そのとき、次に会う日が三十数年後になるなんて、お互いにまったく思わなかっただろう。別れとはそういうあっけない日常の中にある。
 興奮冷めやらぬまま時間が来た。「またね。」と握手を交わしたあと、私は彼の姿が見えなくなるまで見送った。次に会う日までしっかりと記憶に刻むために。