「ボクは今まで、勉強法は、テキストをやるぐらいしか知らなかったので、今日来て、算数・国語・英語などの勉強のやり方がわかってとてもよかった。今日の高はま先生の授業は死ぬ気で聞けと母に言われて、その通りだったと思う。算数のノートの取り方とか、いつも分からなくてぐちゃぐちゃで、母にいつも叱られていたので、今日の授業でちゃんと書けるようになって良かった。中学時代何をやるのかとか、全然考えず何も分からなかったので、今日聞けて良かった。期末テストと内申の事とかもよく分かった。(中略)どんな天才でもコツコツと努力している人に負けると聞いて、もっとコツコツと地道にまったりと、僕も努力しようと思った。数学で、間違えた所をやり直すという一番大事なところをやらなかった自分がとてもバカだと思う。これからはきちんと直したい。ミテウツシ病にならないように気をつけていきたいと思う。(中略)今日の授業は、一生ものだと言っていた母の気持ちがよく分かる。今日来て本当によかった。これからもっと努力していきたいと思う。」
まったりはご愛嬌ですが、何とも誠実に書いてくれているではありませんか。彼は、決してたくさんしゃべるタイプではなかったので、驚きました。ここで思ったのは、今の子どもたちは、勉強を教えてもらったり、生活の中での会話はあるかもしれないけれども、大人が面と向かって、人生や生き方について語るという経験が、少ないのかもしれないなということです。卒業や入学はけじめの素晴らしいタイミングです。「ちょっと話がある」とお父さんから、まじめなメッセージを正面突破でぶつけるというのは、いいかもしれません。
さて、長野県での公立小に続いて、1月に福井県の教育研究所から呼ばれて、小・中・高の先生方を前に、講演をしてきました。釈迦に説法の部分もあったと思いますが、熱心に聴いてくださり、ほとんどの方から熱い感想をいただきました。花まるの発展はどこにたどりつくかと言えば、いつかはこの国の公教育の改革に貢献できればなあという思いですので、半歩前進でした。
とはいえ、足元の日々の教室運営で信頼をそこねたら、全てがご破算です。信頼を築くのは何年もかかりますが、失うのは一瞬という怖さをいつも胸に抱いて努力していきたいと思います。新年度の募集が始まりましたが、これまで一人のお母さんが一人を紹介してくれることでのみ、広がってきました。それがなければ存立ができません。応援よろしくお願いいたします。