高濱コラム 2007年 12月号

盲目のピアニスト梯剛之(かけはしたけし)さんのことは、ご存知の方も多いかもしれません。先日、あるお母さん方のお導きで、彼のコンサートを見に行く機会を得ました。そして、衝撃を受けました。演奏があまりにも素晴らしかったからです。もともと芸術かぶれ人間として20代を過ごしたので、音楽に限らず様々なジャンルの作品や演奏には触れ、「分かっている」つもりでしたが、気づけば花まるを始めて15年、ひたすら仕事に没頭してしまった間に、日本にもこんなに凄い才能が育っていたのでした。
 「目が見えないのによくがんばった」ではなく、「目が見えないからこそ」他の人にはできない聞き方を、自然の様々なものに対してすることができて、それが財産になったのだろうと思われます。とにかく音楽に命が存在していて、一音一音、ものすごい力でイメージを喚起してきます。それは主として、水面の光や風になびく木々だったり小鳥の鳴き声だったりと、自然の様子でしたし、温かい生命のぬくもりのイメージでした。私が音楽に求める最も大事なものがキラキラとそこにありました。

 半生について書かれた「いつも僕のなかは光(角川書店)」を読めば、いかにして彼の能力が育まれたかが、よく伝わってきます。まず第一に友だちとの関係。彼は、幼稚園も小学校も健常児とともに過ごしたのですが、幼稚園時代は、手を使うことが苦手で、親が彼のことを思って色々触らせたり持たせようとするのですが、とにかく「人にやらされる」ことがものすごく嫌で拒否し続けたそうです。しかし、健常の友だちの中に入って、子どもたちから働きかけられると、自然とやる気になったということです。花まるでもインクルージョンに前向きに取り組んでいますが、健常児側にいいことは自明でも、障害を持った側の気持ちはなかなか聞こえてこない中、自信になりました。

 体育や外遊びを一緒にやれたことも大きかったと言います。「身体を使う豊富な体験は僕の人生観を決定的に変えてくれました。(中略)人と共有する楽しさ、汗をかいてやり切った爽快感、身体のはずみの感覚、音楽家になった僕にとって不可欠の要素がいっぱい含まれています」

 第二はお母さんの献身。小学校に無理やり入学させてもらったはいいが、「教科書は自前で準備してください」と言われたときに、お母さんはボランティア団体などを巻き込んで、全科目「触れる教科書」を作ったそうです。何度もおとずれる難関を、剛之さんのことを思う一心で、クリアしてしまうお母さんの行動力の歴史を読むと、ただただ頭が下がります。また、見えない彼のために、何か説明してあげるというよりは、「うわあ、剛之、きれい。とってもきれいよ」と夕焼けに感動してみせるくだりも感心します。彼は一緒に風景の美しさに喜び、「きれいだな」と思えたそうです。

 剛之さんの音楽を中心に書かれていながら、純粋な子育て本としても意義深い一冊。ぜひ一読をおすすめします。それにしても、お母さんは偉かった。昇進も表彰もない母親業ですが、一人の読者として、心から拍手を送りたいと思います。

花まる学習会代表 高濱正伸