花まる教室長コラム 『ハウイ(またね)カンボジア・サマースクール』

『ハウイ(またね)カンボジア・サマースクール』2016年12月

去る8月、サマースクール「高濱先生と行く修学旅行」に参加をした。23人の子どもたちとともにカンボジアの市場や遺跡を巡り、現地の子どもたちと交流するというコースだ。
5時間のフライトの後、プノンペンに到着する。空港を出ると「花まる学習会」と書かれた緑のビブスを着た23人の日本の子どもたちは、現地の注目を集めた。
 その中でも5年生のKくんは人一倍目立っていた。空港からの移動中でも目があった人に元気よく手を振る。「ほら、あの人も俺に手を振ってくれた!」「また俺!」「よし!これで9人目!」そんな声が車中に響き、同時に周りからどっと笑い声が起きる。彼は思ったことをストレートに口にする子で、そしてムードメーカーでもあった。初めてのカンボジア料理を口にした時は、「すっぱ!まっず!」とか、「うっま!」とか、とにかく黙っていない。雄大な川のほとりの素敵なレストラン、綺麗な夕暮れの異国情緒などお構いなしで、1つ1つに大きな声を上げていた。
 
 たくさんのことがあった。そんな中でもっとも心を打たれたのは、3日目、カンボジアの子どもたちと日本の子どもたちとの交流の日だった。
 その特別な一日は、現地の小学校での交流プログラムから始まった。カンボジアの小学生が「ワールドなぞぺー」を解く。それを日本の子が先生役で丸つけをする。ただ丸をつけるだけでなく「チュランナー!(すごいね)」とクメール語で褒めたり、正解の子とハイタッチをするその姿は、まるで花まるの先生のようだった。
 つづいて、厳しいポルポト政権時代を生き延びた人の体験談を聞く。体験した人の語りは迫力があって、さらに目の前に遺跡があるという場の力もある。それが話に吸引力を与えていて、私も引き込まれた。それは人間の一片の真実に触れ、心を揺さぶられる経験そのものだったと思う。
 午後は大運動会だった。カンボジアと日本との混合4チームでの対決だ。「バトンリレー」「風船運び競争」「バブル相撲」「綱引き」「ダンシング玉入れ」…。競技が進めば進むほど子どもたちの間に言葉の壁がなくなっていく。勝利のために身振り手振りで伝え合って、勝敗を共に一喜一憂する。国の違いなどものともせず、勝つために、楽しむために、子どもたちは一体になっていった。
 運動会は大団円で終了。30分後の夕飯まで休憩の予定が、Kくんが蹴り始めたボールからサッカーの試合が始まる。子どもがボールを蹴る姿は日本でもカンボジアでも全く変わらない。夕暮れの中、私も高濱も息を切らしながらボールを追った。
夕飯はカンボジアの子どもたちと共にした。その時、Kくんは二人の男の子とがっちり肩を組み「俺、この子たちと一緒に食べる!」と言ってきた。そして大人に言葉を教わりながら、長年の友達のように地元の子と話し、笑いあう。「子どもって、本当にすごい」と感じずにはいられなかった。ふと周りを見回すと、そういう交流が溢れている。ある女の子はカメラの使い方を教えていて、その後一緒に笑顔でカメラにピースサインしている。別の女の子グループは仲良く手をつなぎながら、現地のおすすめ料理を教えてもらっている。旅のはじめ、何かと大人ぶっていた男の子が、自ら変な顔をして現地の子をゲラゲラ笑わせている。そんな風景を見ていると、微笑みとあわせて、涙が出そうにもなった。
 そしてとどめはキャンプファイヤーだ。「アブラハム」から始まり、最後は現地の音楽で踊る。子どもも大人も、カンボジアも日本も、ぐっちゃぐっちゃになりながら踊る。その一体感・高揚感で、会場はほとんどトランス状態だった。
 激しい炎が消え、鳴り響く音楽が止まり、突然の静寂が訪れる。息は未だに弾み、体はびっしょり汗だくだ。キャンプファイヤーの煙で目や鼻も少し痛い。
 気持ちの高まりが収まらない中で、カンボジアの子たちとの別れの時がくる。ぎゅっと握手したり、涙ぐんで「ハウイ(またね)」と手を振ったり、肩をがっちり組んでの記念撮影だったり、今日初めて出会ったとは思えない、せつなさと名残惜しさに満ちた景色があった。
 「1班、ロッジに移動するよ。」と声をかけ、森の中の土の道をみんなで歩き出す。街灯がない中、懐中電灯の白い光だけがすぐそばを丸く照らしている。虫の鳴き声だけが聞こえる静かな夜道だった。
 その中である子が「親友が2人できた。」と誇らしく語ってくれた。写真を見せてくれた。そのとびっきりの笑顔が眩しい。
 その友人の隣でKくんはずっと黙って歩いていた。そしてぼそりと「寂しい。」と呟やく。小さな声で、本当に悲しそうに。「そうだね。」と答えたが後に言葉が続かない。むしろつなげる気持ちにならなかった。ただ胸いっぱいに広がる気持ちを噛み締めながら、一緒に静かに土を踏みしめ歩いた。 

「メシが食える大人」「モテる人」を育てるという花まるの理念がある。私はそれに「世界のどこにいても」という枕詞をつけたい。
 Kくんをはじめ、このカンボジア・サマーの子どもたちが、未来の子どもたちがそうなっていくための、初めの一歩の踏み出し方を教えてくれたように思う。
 それは現地の人と一緒に、学ぶ・遊ぶ・踊ることだ。言葉だけではなく、体を使って、全身で交流をすることである。
 私たち大人の役割は、子どもを信じて、その「きっかけ」と「場」を用意してあげることだけである。あとは子どもがそれに打ち込めるよう、健康を支え、見守ること。
 「ハウイ(またね)」と言って別れた子どもたちが、またどこかで出会う物語は、きっとあるだろう。今回のサマースクールのような幸福な出会いが、世界のあちこちで、たくさん、たくさん生まれるように。今、私はそう願ってやまない。

伊藤 潤