Rinコラム 『自分の人生を生きる』

『自分の人生を生きる』2016年2月

「ママ、次は何をしたらいいの?」って聞かれたんです。私もうびっくりして。「え?積み木ででも遊んだら?」って言ったんですけどね…」学級閉鎖で急にお休みなった日。1年生の娘は本当に困った顔をして母に尋ねたのだそうです。お母さんは気づきました。「あの子、今まで全部決められたことを、ただやっていたんだって」

 「せんせい、それで次どうしたらいいの?」本当に困った、私わからないよ。といった表情です。その場にいる子どもたちは全員、怪訝な顔をして、「何を言っているんだろうね」と目で私に話しかけます。はじめて創作に来た彼女は、なぜ周りのみんながその質問をしないのかということさえも気がつきません。「次にどうしたい?それは先生にはわからないよ。あなたはどうしたいの?」と笑って聞き返します。ハッとする目。

 「見て、ここをね、こうやってみた」「見て、先生、こんな形になった」「先生、見て…」5月に初めてクラスに来た彼女は、「何をしたらいいか」を聞くわけではなく、「こんなふうにできた」ことをすべて私に伝えなければ気が済まないようでした。「なるほど、ここを工夫したんだね」「ここはこんなふうにも見えるね、いいアイデアだね」仲間に見せて感性の共有をすると、承認を得られたことが誇らしいのか、「みんなにも見せなくちゃ」と仲間のもとに戻っては数分おきにまた私のもとへやってきます。
 こんなことは珍しいのです。とくに、もともと創ることそのものが大好きで、どちらかというと自分の世界に没頭する子が多いAtelier for Kidsで、彼女の言動はとても目立っていました。どこか切実さを持って何度も何度も作品を見せに来る彼女の要求を、全部受け止めてみよう、と二回目に会ったとき、私は決めました。そして夏が来るころ、彼女はもう、いちいち何かを見せに来ることはなくなりました。そのことが、彼女の内面にどのような変化をもたらしていたのか、私はずっと考えていました。
 2016年最後のクラスを終えた日。「以前は、何をするにも自信がないというか、なんでも確認していたんです。よく考えたら、いつもスケジュールに追われている毎日で。でも「じゆうに」やっていいって、りん先生が言ってたから!って言って…」と彼女の成長を嬉しそうに話してくださるお母さんの姿がありました。彼女曰く、「小さいりん先生がここにいたの」だそうです。
 彼女は、ただ自分自身を取り戻したのです。「自分をありのままに表現してもいい」と、納得するまで確認をしきった彼女は、ようやく自分の中にある軸を取り戻し、自分自身を信じられるようになっただけなのです。誰かのための何か、をもう探す必要も、聞く必要もないのです。これでいいのかどうかは、もう自分でわかるのです。
 彼女は、本当の意味で「じゆう」を知ったのだ、「自分の人生」を生き始めたのだ、と私は思いました。

 最初の親子に出会ったのはもう10年も前のことです。ちょうどAtelier for Kidsを始めていた私は、子どもたちの、“同じような発言”に気がつくようになりました。ただ自分のしたいことに没頭し、熱中して楽しみ、感性を豊かに働かせて遊ぶ経験を十全にできたかどうかは、きっとその人の人生を大きく決めるほどの大切なものなのだと、今では確信しています。教育も子育ても、教える側の感性がモノをいう世界だからです。
 自分の人生を生きる。そのことほど大切なことはないでしょう。
 それができれば、しあわせを自分で決められるからです。 
 
RELLO 由実(Rin)